緑の運河 芝生の道2013年01月29日 18:18

2004年、ある自動車メーカーのコンペに提案した未来の車(この言い方が既に陳腐ではありますが)、非採用で年月がたったのでこちらにて。

緑の運河 Qaan
ベルリンの風景、車道を芝生にしてそこを静かに走る姿をイメージしました。

提案したい(取り組みたい)のは道路と一緒に考えた自動車の未来です。
自動車には誕生以来のイノベーションが沢山あってどんどん進化しました。しかし、自動車自体が急激に陳腐化しているかもしれない、、そう思いはじめたのは自動車にコンセプトとレトロのブームがあった90年代のころ。
2000年を過ぎて、自動車はエコに向かったけど自動車だけの問題ではないように思えてきて、道路はこのままでいいのかな、と。道路にももちろん進化があったのですが基本は不変に思えて、そろそろ改善してもいい頃なのではないかと思っていた時、司馬遼太郎の「草原の記」を読みました。
そこには古代のモンゴル人の描写を通して筆者の「地面を剥ぐな」という叫びを感じました。同時に「道」のあり方を示唆されたように思ったのです。土地を覆うものを剥いで作るのではなく、愛すべき土地を隅々まで行き渡らせるようなあり方、、そんなことを思いました。

提案では深く触れられませんでしたが、道路を芝生にする事で何が改善される(と期待している)のかと申しますと、、
・街が美しくなる
・裸足であるく事が出来る
・緑化面積が増え空気中の炭素固定に期待
・雨水浸透面積が増え、急な降雨に耐えられることを期待
・保水面積が増え、ヒートアイランドの緩和に期待

都会の抱え込んだ問題点に少しでも寄与したらいいなぁと思いますが、それ以前に街が美しい事、裸足で走れる事がどれだけ豊かであるか、、今でも想像するとワクワクします。

当然、路面の維持管理やライフライン、自動車自体に様々な改変を要求します。自動車の再発明、道路設計の見直し、道路用芝生の品種開発、ライフラインの敷設など技術的なこと、あわせて維持管理など運用面でも沢山の見直しが必用でしょう。
しかし実に傲慢な態度ではありますが、それこそがイノベーションの種だろうとも思ったのでした。

緑の運河 Qaan
それで、肝心の自動車はこんなコンセプトでした。地面を走るのではなくすべる感じ。ふんわりと優しい、万一人を巻き込んでも笑い話になるような軽い存在であってほしいと思います。

色々矛盾や無理も多いのですが、こうあって欲しい未来としてイメージしています。

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