デザイン -2- ファッション ― 2024年11月01日 10:33
みなさまこんにちは^^
身近でなじみ深い6つのデザインのその1、ファッションについてです。
ファッションのデザイン。
これをもらさず語るには、一生を費やすほどの熱量と経験がないと難しいですね。
それでも、ファッションは好きです。いちファッションファンとして、ファッションが何を表しているのか、ユーザーは何を求めているのか、という観点からファッションデザインのポイントを3つに整理しました。
・おしゃれ(トレンド)
・着心地
・帰属
・着心地
・帰属
おしゃれ(トレンド)
これは、いわゆるTPOです。
「今」をどの程度の時間感覚(歴史的な長い時間から、数日単位まで)で捉えるのがいいか、それをどのくらい取り入れるか、外すのか、どんなアイデアがあるのか、、主戦場です。
着心地
これは「服としての性能」です。おしゃれより優先する人もいますし、おしゃれと両立させたい人もいます。
帰属
ファッションで表現されるおしゃれさ、性能へ求めるもの、それらが複合的に表れるのは「私はこういう人です」という帰属です。
制服のようにルール化されたもの、ギャルファッションのように生き様を共有するもの、社会へ溶け込みたいと思うような欲求も、「人となり」を表さずにはいられません。
身近でなじみ深い6つのデザインのひとつめ、ファッションデザインのポイントを3つにまとめました。のこりの5つもやっていきましょう。(つづく
デザイン -1- ― 2024年10月30日 17:13
みなさまこんにちは^^
「デザインとは何か」
これは、真剣に学術書を仕上げて行くような問いにもなりますが、私にとってはもう少し娯楽的な衝動を含んだ問いです。先人たちが様々な言葉を残して*くださってますし、私自身も日常の業務の中で(あ、こういうことかも)と思う瞬間がありまして、それを再認識する作業は面白いことなのです。
(*それらを書いてみよう、というのもこのブログを始めた理由です)
で、この問いの私なりの答えはいくつかありまして、その中で最もシンプルな言葉が「デザインは贈り物」です。
これを、何故そう言えるのかを、この後いくつかの記事を使ってひも解いて行こうと思います。どうぞ最後までお付き合いください。
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唐突な質問ですが「デザイン」と言われて何を思い浮かべますか?
・・という質問を、10-20代のデザインのプロではない方たち10人程に投げ掛けまして、類似をまとめると以下の6つが並びました。
・ファッションデザイン
・インテリアデザイン
・建築デザイン
・カーデザイン
・プロダクトデザイン
・グラフィックデザイン
世の中にはUIとかアプリとかサービスとかシステムとか無限にありますが、「デザイン」というワードでイメージするのは、実体のある長く身近にあるものたちなんですね。
これらを基に話を進めましょう。(つづく
「好き」の力 ― 2024年10月16日 10:28
みなさまこんにちは^^
先日「夢はかなう」と言っていいというお話の中で、「好き・やって見たい」ということに躊躇無く取りかかり続けると、自分の「好き」の中から「向いてる/向いてない」が見えてくるようになる、ということを紹介しました。
最終的に好きなことを仕事にするのを諦めるとしても、「好き」を理由にやるのって大事なんです。といいますか、仕事にするしないはまた別の話ですよねそもそも。
「好き」を自分の人生の真ん中に置くと、生活をどうするのか、という課題が出てきます。ひとつの解は「好き=仕事」になること。もうひとつは「好き」と「仕事」を別々に成立させること。
今回の話は、「好き」を仕事にするためにも、「好き」と「仕事」別々に成立させるためにも、「好き」を突き詰める過程は有用ですよ、です。
まず、「好き」は解像度を高めます。
昔ポルシェのライトが「涙目」(英語圏では卵焼き)になって、ポルシェファンの反発を招き元に戻した、ということがありました。ポルシェが好きであればあるほど僅かな差違が気になったのですね。
たとえばアイドルグループ、興味がなく口の悪い人からは「みんな同じ」と言われたりしますが、ファンからしたら全然違いますよね。
誰でも好きなものの解像度は高くなるのです。
それから「好き」は共感が深いです。
好きなものをもっと知りたいと思い、様々な情報を集めるのは自然な流れです。その過程でより共感を深めて行きます。
聞いたことのない二軍選手が一軍の試合に出てヒットを打つ。ありふれた光景ですが、その選手が子供の頃から知っている野球少年で、そのバックグラウンドや苦労を良く知っていたら、涙なくして見られないでしょう。
「好き」は理解と共感の原動力人になります。
そして、「好き」は全てのことが「自分ごと」になるのです。
今抱えてらっしゃる仕事は自分が好きなことですか?それとも会社都合でたまたま回ってきた仕事ですか?どうしたって好きな方が頑張れますよね。もちろん、職業意識から手を抜かない方がほとんどだと思いますが、一線を超えるかどうかというシビアな時には、のるかそるかを分ける要素だと思います。
特にクリエイティブ系の仕事の場合、自分の限界を何度も超えて行かなければなりませんが、この限界を超えて行く原動力は「好き」がもっとも普遍的で誰でも持っている力だとおもいます。(他にも色々ありますがここでは割愛)
限界まで頑張らなくても、「好きだけど向いてないな」とか、「自分が好きなポイントはそれをすることじゃなくて見ることだったんだな」とか、「むしろ少し俯瞰的に立場で補助の方が力量発揮出来るな」とか、「単に細々としたことを延々とするのが好きなんだな」とか、色々と自分の中の解像度が上がって行きます。
そう、「好き」を続けて行くと、対象物に対比して「自分への解像度、共感」があがり、自分を「自分ごと」として捉える力がついてくるのです。
安心して「好き」を続けてください。
昼寝とサバンナ ― 2024年10月14日 10:00
みなさまこんにちは^^
身体を動かすと頭の回転も良くなるという話をしましたけれど、もうひとつ、疲れた時どうするか、これも大切なことです。
「疲れたら休む」
当たり前ですけれど、実際にはそう出来ないからエナドリが売れるんですよね。でも身体に何かと例れることと休息とは、根本的に違いますよね。よく言われる「元気の前借り」でしかありません。
やはり昼寝が効きます。ちょっと寝る。めちゃくちゃ大事です。
プロ野球のベンチ裏には「仮眠室」があるそうです。プロのアスリートにとっても適切な休息はパフォーマンスを向上させる大事なルーティーンだそうです。大谷翔平選手もよくねるそうですが、昼寝もなさってるのかしら。
「パワーナップ」という言い方も出てきましたが、昼寝を推奨されるオフィスも多いのではないでしょうか。
この「昼寝」に注目が集まった背景には、人間の動物的な側面を理解して、もっとも適した生活リズムを捉え直す、というムーブメントがあります。その強力なツールとして「サバンナ原則」があります。(日系イギリス人のDr.カナザワが提唱)
現代人のDNAはサバンナでの生活に適合してきた結果なので、サバンナにかったものへの適合が苦手であり、サバンナでの生活が健康的な生活の規範となる、というものです。
昼寝は、サバンナでの生活ではとても合理的でした。日が高いと目立つので多くの動物の活性が下がります。人も木陰に寝そべり、木の実や虫(!)を齧ったりしていた。
虫はちょっとハードル高いですが、少しの甘いものを食べ、短時間リラックスして目をつむる。いいです。許されるのでしたら、昼間の生活に取り入れて見てください。
思考は体技 ― 2024年10月11日 10:27
みなさまこんにちは^^
デザインでよく行われるRPラピッドプロトタイピングは、「手や体全体を使って考える」という感覚があります。粗雑ではあっても物理空間に実際に存在することで、五感それぞれに刺激がありますし、存在感を感じたり使用感をイメージすることができます。ここで感じたことをフィードバックして前に進めて行くことに課題も面白さもあります。
学生の頃、スケッチが抜群に上手い先生は「手で考える」と仰っていました。手の動かせる範囲を広く、自由に意図通りの線が引けないと、アイデアが縮こまるぞ、とも。人が「手の軌跡に意味を発見する」行為は、乳幼児から観察*されていますけれど、自分の行為の結果を、行為の意図から切り離して感じ取る力があります。
脳内で客観的に考えるのは難しくても、一度アウトプットしてしまうことで客観視出来る。人ってなかなか凄いです。
*)めちゃくちゃに描いた線に、ママの顔や犬の姿を見るようなこと。
脳だけでなく、筋肉と五感をフルに使うということは、身体のコンディションが思考に影響するということです。実例を二つご紹介します。
1999年のシカゴ、ネーパーヴィル・セントラル高校では、授業前に運動を取り入れたところ、1年間で全体の成績が17%向上しました。これは教育界にセンセーショナルを興したそうです。(日本の例もありますので興味があったら探して見てください。)
この教育界のムーブメントを追研究したのが2013年のスウェーデン、カロリンスカ研究所で、毎日運動すると4分で集中力が向上、20分で読解力が向上と報告しました。
体育の後の授業は眠くてぼーっとしてたな、、とう私の記憶とは大分異なる結果です(笑
しかし確かに、歩くと考えが動く感覚があります。血の巡りが良くなってくると酸素が行き渡って視界も考えも広がります。コンディションを整えるためのもの運動は適量がよい、ということですね。(詳細は検索して見てください)
思考は体技です。アイデアに行き詰まったら歩いたり縄跳びしたりしてみてください。
写研フォント! ― 2024年10月09日 18:46
みなさまこんにちは^^
いよいよ写研のフォントがデジタル環境で使えるようになります!(2025/10/15より)
ナールとゴナには頭が上がらないベテランデザイナーは沢山いらっしゃいますでしょ?私もです。
写研とモリサワがたもとを分けてから再び合流するまでには随分と長い時間がかかりましたが、これからは一緒です。関係者の皆さまのご尽力に感謝を申し上げます。
写研フォントってなに? 知って使えばもっと楽しい書体の背景
写研フォントってなに? 知って使えばもっと楽しい書体の背景
素敵な"ブリコルール"発見! ― 2024年10月07日 10:10
みなさまこんにちは^^
すぐ試作を作って試す「RP/ラピッドプロトタイピング」についてお話したときに、あり合わせのもので作る「ブリコラージュ」についてちょっと触れました。
小学校の用務員の先生とか自転車屋さんのおやじとか。家電の修理屋さんとか、農家の方の自前のかかしとか獣害対策とか。余った布で服やら鞄やらを作ったり。ちょっとしたものから凝ったものまで、有り合わせの材料でこさえてしまう器用な人、昔から沢山いらっしゃいますでしょ。こういう人を「ブリコルール」と呼びます。
街歩きや旅先で素敵なブリコラージュに出合うとちょっとわくわくしますが、作られた方(=ブリコルール)に直接出合うことは少ないんですよね。
それが、ある動画を見ていたら素晴らしい方を見つけてしまいました。
チャンネル*のゲストでしっちゃんと呼ばれている、軽自動車(エヌワン)の車中泊を楽しんでおられる方です。しっちゃんは自作で車内に装備を作られているんですが、自然体で有り合わせのものでどんどん改良していかれるんですね。そしてその作られたものがとてもチャーミングなんです。
さらにさらに、結構作り込んだものでもあっさり捨てて、新しいものにどんどん変えて行くところは達人の閾さえ感じます。
しっちゃんこそナチュラルボーンデザイナーだと思います。
私もブリコルールの気質があったのでデザインの仕事では大いに楽しませてもらっています。ブリコルールはデザイナーにとって基本的でありながら貴重な気質といえるでしょう。
*)石川県の方で、震災後も発信してらっしゃいます。そちらもぜひご覧ください。
種を抱えて歩く ウェットティッシュホルダー ― 2024年10月02日 10:10
みなさまこんにちは^^
生活の中で(おや、これは、、)と思ったり感じたことがデザインの種になることが多いのですね。だから生活はとっても大事。絵に描いたようなきれいな暮らしでもいいですし、矛盾とエクスキューズに満ちた凌ぎでもいいです。本当の生活がそこにあれば。
私は生活の中で拾い集めた「種」を心にいくつも抱えながら雑貨店を回るのが好きです。(この課題は市場では価値がないのかな)とか(あ、やられた!)とかぶつぶつ言いながらニヤニヤしています。(怪
数カ月前、そんなウインドーショッピングの途中で素敵なデザインに出会いました。
ウェットティッシュのケースの種とアイデアがあったんですが、サラサデザインのものをしばらく使って見て、私のアイデアはお蔵入りになりました。お蔵入りは残念ですけれど、種の芽吹く姿が見られました。これはこれで楽しいことです。
最近はリアル店舗が減ってきまして、こういう機会が貴重になっています。
UIは「意味世界」と「物理世界」のインターフェイスである ― 2024年09月20日 18:06
みなさまこんにちは^^
UIが「人は交換したい生き物」という特性があるから成立する、というお話をしています。
「交換」に着目していますが、交換と同時に大切なのが「共有」です。言語が情報交換であると同時に、情報の共有であることは理解しやすいです。
小さな子供がぬいぐるみを指して「この子は赤ちゃんね」と一言いうだけで、その場の集団はそのシチュエーションを共有し、一つの世界をつくって行きます。これって凄いことなんですよね。
カラスは知能の高い生物として知られていて、単独では8歳程度の子供より頭が良いそうですが、2人で椅子を動かすような共同作業が出来ません。また、集団で狩りをする動物は共同作業をしますが、特定の学習期間に獲得しないと出来ないまま一生を過ごすそうです。ましてや、おままごとのようなごっこ遊びは出来ません。(動物は出来なくて人間だけが出来る、というものは本当はまだ観察されていないだけ、ということも多いので、今後変わる可能性がありますが)
ごっこ遊びに見られる「イメージの共有」が、人を人足らしめたと考えるのが現在の主流です。イメージは、目的、役割だけに留まらず、世界観、価値観、思想、倫理、宗教に及びます。これを仮に「意味世界」とまとめますと、人はまさにこの「意味世界を交換、共有したい生き物だ」といえるでしょう。
さて、UIは操作性に関わるところが主ですけれど、物理世界の理屈だけでは説明が出来ないことがあります。
例えば、ちょっと昔の話ですがウォークマンとiPodを比較しましょう。
ウォークマンはボタンが複数ありました。その方が使いやすく、理にかなっていたのです。そしてボタンは多い方が「高機能で値段が高い」ものでした。
一方iPodは特徴的なホイールUIだけで全ての操作を行いました。物理的には非効率な構造でしたが、メニュー構造を理解しやすく「スマート」に見えました。これは歓迎され、その後のUIに多大な影響を与えます。
UIデザインの現場において、iPodのスマートさがウォークマンを古くさく見えるものにした、という事実はちょっとした衝撃でした。iPodの意味世界がウォークマンの意味世界より「素晴らしいもの」として歓迎されたからです。これは思想戦だったのだ、とあらためて思い出されます。
「UIは『意味世界』と『物理世界』のインターフェイスである」
このことを意識する機会は少ないかもしれませんが、絶対に忘れてはならない視点です。
うーん、やっぱり倫理にまで行きますね、今後は。
ビジョンの共有と交換 ― 2024年09月18日 10:13
みなさまこんにちは^^
「人は交換したい生き物」という認知を得てから、色々と腑に落ちることがありまして。そのうちのふたつをご紹介します。
ひとつはなぜ「利他」があるのか。
倫理や宗教が利他にたどり着くのか。利他的な人ほど幸福度が高いのは何故か。この疑問に対する「人は与えたいものだから」「そして与えると同時に受領しているから」という回答がありまして、確かにそうだと思いますけれど、これを一言で「交換したい」と言い換えるのはとてもしっくりきます。
そして「交換によって価値が増す」という概念も肌感覚としての連続性を感じます。貨幣が生まれてくる流れも浮かんできます。
もうひとつ。
そもそもUIデザインは、人が交換したいと考えないと成立しないものだ、ということ。
人とモノのインターフェイスでは、モノの姿が人に行為を促し、人はその行為を行い、モノはそのフィードバックを人に返し、人はそのフィードバックから次の行為にうつる・・。アフォーダンスとかメンタルモデルとかで説明されるUIのミクロの仕組みです。
この「人を促す形(アフォーダンスがある)」とは、例えば椅子は座る形、ボタンは押す形、ノブは回す形をしている、と説明されます。そしてこの形の意味は既に「メンタルモデル」として持っている、もしくは過去の経験から捻出される、と説明されます。この内的な意味群を獲得する経験は、乳幼児の観察によっていくつも見いだされています。
(言語の獲得については今井むつみ秋田喜美共著「言語の本質」が面白いです。)
で、この意味を獲得して行くことがまさに「交換」なんです。自分がした行為そのもの、その軌跡(地面に残る指先の跡とか)、発した音、それらのものと、その結果が結びつくこと。これを「交換」というメタファーで捉えられるんです。
・・・ちょっと分かりにくい話かも。私が興奮している理由が今一つ書けていない気がします。すみません。。
「交換」を「ギブ&テイク」と言い換えたらどうでしょう。人が何かを行うと、そこに情報のギブ&テイクが行われている。ギブとテイクが同時に起きている。この「同時性」が私にはツボなのでした。
続きはまた。
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