今年を忘れない ― 2011年12月27日 23:59

今年もあと5日たらずとなりました。
様々な困難と悲しみが多くの不幸となってこれでもかと襲いかかった一年、、。
直接的にせよ間接的にせよ、生き方について考え、変化を経験した方も多い事と思います。
私どもに出来た事はごく微々たる事だったかもしれませんが、多くの方と考え、行い、また行わず、互いに気づかいあう中で得たものは多かったです。
来年から、新しい建設を開始し、一層の努力をしよう、、そう気を引き締めなおしました。
ところで「忘年」と申しますが、今年はこの言葉に違和感を持つ方が多い事でしょう。私も少し気になりました。
山、海、畑と、物言わぬ御せぬ相手を生活の基盤とし、狭い地域で永い関わりを続けてきた私たちの祖先は、よく言えば1から10を知るに長けた、悪く言えば些細な事柄を執拗に記憶するようになっていたことでしょう。その様な中で培われた社会では「忘れる」というのは意味のある知恵だったと推測します。
その社会の精神的性質が、形を変えて継承されているとすれば、現代でも「忘れる」ことの意義は深いのかも知れません。
しかし、「御せぬ相手」ではないものたちの過ちは決して忘れてはならない事でしょう。見直せば改善されることを忘れてはなりません。
社会がその一部である自身の鏡だとすれば、その「愚かさ」を決して忘れてはならないのだ、、そういう思いが募る年の瀬です。
様々な困難と悲しみが多くの不幸となってこれでもかと襲いかかった一年、、。
直接的にせよ間接的にせよ、生き方について考え、変化を経験した方も多い事と思います。
私どもに出来た事はごく微々たる事だったかもしれませんが、多くの方と考え、行い、また行わず、互いに気づかいあう中で得たものは多かったです。
来年から、新しい建設を開始し、一層の努力をしよう、、そう気を引き締めなおしました。
ところで「忘年」と申しますが、今年はこの言葉に違和感を持つ方が多い事でしょう。私も少し気になりました。
山、海、畑と、物言わぬ御せぬ相手を生活の基盤とし、狭い地域で永い関わりを続けてきた私たちの祖先は、よく言えば1から10を知るに長けた、悪く言えば些細な事柄を執拗に記憶するようになっていたことでしょう。その様な中で培われた社会では「忘れる」というのは意味のある知恵だったと推測します。
その社会の精神的性質が、形を変えて継承されているとすれば、現代でも「忘れる」ことの意義は深いのかも知れません。
しかし、「御せぬ相手」ではないものたちの過ちは決して忘れてはならない事でしょう。見直せば改善されることを忘れてはなりません。
社会がその一部である自身の鏡だとすれば、その「愚かさ」を決して忘れてはならないのだ、、そういう思いが募る年の瀬です。
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