壁を越える2009年04月07日 23:12

昨日からの続きです。

さて、ユーザーインターフェイスにおける決まり事を「言語」に例えると、その言語を習得する年令がとても重要なことが分ります。言い換えれば、8歳までにどのようなシステムに触れてきたかが、その人にとってのインターフェイスの基本となって行くのです。また、インターフェイスを理解して行く過程は、母国語の特性に左右されることでしょう。

日本語は目的語が動詞の前にくるのが大きな特徴です。同時に同音異義語が大変多いため、文脈がとても大切ですね。これは一つの操作をひも解く順番に大きく関わってきます。

例えば「音楽再生中にボリウムを調整する」という行為は、日本語の順番なら、そのまま
 再生中に→ボリウムを→調整する
になります。
これをこのまま操作手順に置換えて、「現在の状況を変えずに(再生中に)」「操作する対象を(ボリウムを)」「操作する」の様に工夫して行くのが自然だと考えられます。そして、状況毎の操作の文脈を細かくひも解いて行くこととなり、頻度の高い操作は専用のボタンを設けて行くことに通じています。つまりボタンは増え方向です。

対して英語なら、、
 調整する→ボリウムを→再生中に
となりますね。
これは「操作(ボリウム調整)」の種類が大切で、全操作の整理を通じて、出来るだけ理解しやすい全体像を目指すことになります。これは、可能ならボタンは少ない方がいい、という考え方になります。

上記のような言語による発想の違いだけでなく、様々な要素もあわせて、iPodのインターフェイスは日本では必然性が乏しかった、と私は考えています。再生中にイコライザもボリウムも別々の階層を辿ってから操作をするという方法は、日本の感覚ではないですからね。

しかし、iPhoneは全世界で広く受け入れられています。子供の時にどのようなシステムに触れていたか、というインターフェイス言語の「9歳の壁」をなんなく超えて行きました。言語よりももっと本然的な考え方に近づくことが出来たのかもしれません。
愚直にも「自然さ」にこだわったその背景には、普遍性に対する深い洞察があったことでしょう。これはぜひ見習っていきたいですね。

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