「ものつくり敗戦」を読む ― 2011年05月13日 23:59

木村英紀氏著「ものつくり敗戦―「匠の呪縛」が日本を衰退させる」を読んでいます。
科学と技術は本来別物であり、科学が技術とうまく結合して成果を挙げてきたことをふり返りながら、日本では労働集約型の技術革新が進み合理性は軽視され、80年代以降の「システム」が日本の技術からこぼれ落ちていきそれが今の現状を招いた、、と説いています。
大量生産の「ものつくり」が「ものばなれ」を呼んだ、という指摘は耳が痛いですね。本書の文脈と同じではありませんが、同様のことを現場にいて実感しています。
「ものつくり」という成功体験にしがみついていては先は開かれない、という危機感は大いに共感しました。
しかしそれではどうしたらいいのか、という点についてはもう少し読み込んで見ないと判りません。
本書のキーワードである「普遍性を技術に」は、おりしも昨日参加した「シェアリズム」の背景である「オープン」と全く同じ思想だと感じます。これはアメリカ的もしくはアングロサクソン的であるようにも思いましたが、ハイコンテキストな日本社会でも模索されつつあるようにも思います。
そこに日本的な善意、誠意、おせっかい、といった源流の異なるものがあるのは確かなようですが、私はそれがどのような形で花開くかを期待してしまいます。本書の視点からしますと楽観的過ぎるのかもしれませんけれど。
本書は3.11より前に著されたものです。現況を招いた原因は敗戦と通ずるので今一度見直して発想を変えよ、という主張は戦後復興の方法論が通用しないという指摘と捉えられるかもしれません。
その点を真摯にうけとめてフラットな視点をもっていたいと思いました。
科学と技術は本来別物であり、科学が技術とうまく結合して成果を挙げてきたことをふり返りながら、日本では労働集約型の技術革新が進み合理性は軽視され、80年代以降の「システム」が日本の技術からこぼれ落ちていきそれが今の現状を招いた、、と説いています。
大量生産の「ものつくり」が「ものばなれ」を呼んだ、という指摘は耳が痛いですね。本書の文脈と同じではありませんが、同様のことを現場にいて実感しています。
「ものつくり」という成功体験にしがみついていては先は開かれない、という危機感は大いに共感しました。
しかしそれではどうしたらいいのか、という点についてはもう少し読み込んで見ないと判りません。
本書のキーワードである「普遍性を技術に」は、おりしも昨日参加した「シェアリズム」の背景である「オープン」と全く同じ思想だと感じます。これはアメリカ的もしくはアングロサクソン的であるようにも思いましたが、ハイコンテキストな日本社会でも模索されつつあるようにも思います。
そこに日本的な善意、誠意、おせっかい、といった源流の異なるものがあるのは確かなようですが、私はそれがどのような形で花開くかを期待してしまいます。本書の視点からしますと楽観的過ぎるのかもしれませんけれど。
本書は3.11より前に著されたものです。現況を招いた原因は敗戦と通ずるので今一度見直して発想を変えよ、という主張は戦後復興の方法論が通用しないという指摘と捉えられるかもしれません。
その点を真摯にうけとめてフラットな視点をもっていたいと思いました。
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