「ユーザーの話を訊く」 ― 2011年05月23日 23:59
私は今、「こういうものが欲しい!」と強く言える最終消費者のためのデザインに注力しています。
コラボレーションとして大変手応えのあるものですし、仮説検証が素早いこともいいですね。
以前紹介させて頂いたバンダナバックルは、そうして出来たものの一つです。
バンダナバックル
http://www.misaling.net/bb/bandanna_buckle.html
私が「強い要望を持つ消費者」のためのデザインをしようと思う理由が二つあります。
一つは、だれもが要望を持っているわけではない、ということ。
もうひとつは、多くから訊くことのバイアスを避けるためです。
もしかしたらこれは日本市場のより強い特徴なのかもしれませんが、どんなものがいいのか、という問い掛けに「私はこういうモノが欲しい」と答えることが出来る人はとても少ないです。
例えば「おまかせ」「おすすめ」「いたれりつくせり」が喜ばれるサービスですし、提供側の心を砕く姿勢は良く耳にしますが、ユーザー側のぜひこうして欲しいと言う要望はクレームと言う形でしかなかなか目に付きません。
その中にあって「こういうモノが欲しい」といえる人は貴重です。また、その方は同時に周囲に共感を呼ぶ発信者であることが多いのです。その方の欲しさに答えたモノが、一般性を持った一つの具体的な解になりうる、というのが私の仮説です。
また、幾つかの市場が発展し成熟していくさまをデザイナーと言う立場から見させて頂き、また衰退して行く市場の過去の貴重なご経験を伺う中で、無視出来ないこととして「ユーザーの声を訊いた結果なのにユーザーから乖離してしまう」という現象があります。これは特に発展期の後半に起きやすく、衰退のサインにもなるようです。
例えばワープロ。
色々出来ることを提案実装して、通信や辞書機能など現代のモバイルパソコン並の機能を実現したものもありました。それは確かに多くの声を聴いた一つの回答だったのかもしれませんが、ワープロではない、という声を含んだものにはなりませんでした。
またかつてのオーディオ。
2チャンネル(普通のステレオ)から4チャンネル、他チャンネルへ、、技術偏重になった、売りたさゆえの過剰だった、、等と言われているようですが、ユーザーの乖離は防げませんでした。
固定電話機でも同じような推移といえるかもしれません。
ワープロはパソコンに、ステレオはラジカセに、固定電話は携帯電話に、、今見かえれば同じ市場に見えますが、短期的視点からみると見えていないものなのですよね。
市場を戦略的に捉えるという視点でもそうなのですが、一つのプロダクトを見てもこの乖離はおきています。
発展した市場にいるユーザーはその市場内での認識で発言してしまいます。のちに取って代られる市場までふくめて「こういうものがほしい」という声は「少数」になってしまうのではないか、、。
「大勢の声をまとめて訊く」という行為が間違っているのではないか、というのが私の仮説です。
ただ、「こういうものが欲しい!」というユーザーのいう通りに作るだけでは足りません。当然少数の声だけを訊いていればいいと言うこともありません。何が足らないか、訊くべき多数とは何か、、これはまた改めて書かせて頂こうと思っています。
コラボレーションとして大変手応えのあるものですし、仮説検証が素早いこともいいですね。
以前紹介させて頂いたバンダナバックルは、そうして出来たものの一つです。
バンダナバックル
http://www.misaling.net/bb/bandanna_buckle.html
私が「強い要望を持つ消費者」のためのデザインをしようと思う理由が二つあります。
一つは、だれもが要望を持っているわけではない、ということ。
もうひとつは、多くから訊くことのバイアスを避けるためです。
もしかしたらこれは日本市場のより強い特徴なのかもしれませんが、どんなものがいいのか、という問い掛けに「私はこういうモノが欲しい」と答えることが出来る人はとても少ないです。
例えば「おまかせ」「おすすめ」「いたれりつくせり」が喜ばれるサービスですし、提供側の心を砕く姿勢は良く耳にしますが、ユーザー側のぜひこうして欲しいと言う要望はクレームと言う形でしかなかなか目に付きません。
その中にあって「こういうモノが欲しい」といえる人は貴重です。また、その方は同時に周囲に共感を呼ぶ発信者であることが多いのです。その方の欲しさに答えたモノが、一般性を持った一つの具体的な解になりうる、というのが私の仮説です。
また、幾つかの市場が発展し成熟していくさまをデザイナーと言う立場から見させて頂き、また衰退して行く市場の過去の貴重なご経験を伺う中で、無視出来ないこととして「ユーザーの声を訊いた結果なのにユーザーから乖離してしまう」という現象があります。これは特に発展期の後半に起きやすく、衰退のサインにもなるようです。
例えばワープロ。
色々出来ることを提案実装して、通信や辞書機能など現代のモバイルパソコン並の機能を実現したものもありました。それは確かに多くの声を聴いた一つの回答だったのかもしれませんが、ワープロではない、という声を含んだものにはなりませんでした。
またかつてのオーディオ。
2チャンネル(普通のステレオ)から4チャンネル、他チャンネルへ、、技術偏重になった、売りたさゆえの過剰だった、、等と言われているようですが、ユーザーの乖離は防げませんでした。
固定電話機でも同じような推移といえるかもしれません。
ワープロはパソコンに、ステレオはラジカセに、固定電話は携帯電話に、、今見かえれば同じ市場に見えますが、短期的視点からみると見えていないものなのですよね。
市場を戦略的に捉えるという視点でもそうなのですが、一つのプロダクトを見てもこの乖離はおきています。
発展した市場にいるユーザーはその市場内での認識で発言してしまいます。のちに取って代られる市場までふくめて「こういうものがほしい」という声は「少数」になってしまうのではないか、、。
「大勢の声をまとめて訊く」という行為が間違っているのではないか、というのが私の仮説です。
ただ、「こういうものが欲しい!」というユーザーのいう通りに作るだけでは足りません。当然少数の声だけを訊いていればいいと言うこともありません。何が足らないか、訊くべき多数とは何か、、これはまた改めて書かせて頂こうと思っています。
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