長い江戸時代の終わり「中国化する日本」 ― 2012年07月19日 23:28
與那覇潤(よなはじゅん)著「中国化する日本」です。
引き返しつつ読み続けていまして、現在延べ二回ほど目を通したところです。
長い間私にとりまして近代を知る事が一つのテーマになっているのですが、今まで断片的に集めてきた知識が一つの文脈の中にすとんと収まってしまいました。
あまりに綺麗過ぎますと返って疑わしい、というのは私の穿った見方なのですが、この本が見せている景色はにわかには信じがたいという方もあるかも知れません。それは、そのタイトルが示している「中国化する日本」のことです。
改めと見ますと、やはり挑発的なタイトルですね。
しかし本書内の「中国化」は、中国が領土侵犯したり統治主体が中国と同じになると言う意味ではありません。
ではあえて著者が「中国化」と書いていますのは、「可能な限り固定した集団を作らず、資本や人員の流動性を最大限に高める一方で、普遍主義的な理念に則った政治の道徳化と、行政権力の一元化によって、システムの暴走をコントロールしようとする社会」への変化のことだそうです。
これは1000年前の「宋」が世界最初の近代だとする歴史観から見た時、近代化とは即ち中国化である、とのこと。
ふむ。つまり日本はまだ近代ではない、という含意があります。本書では日本はまだ「江戸時代」(再江戸時代化された社会)なのだと強く主張しています。
この「今は長い江戸時代の終わり」という指摘が、一つ一つ納得出来てしまうんですよねぇ。
タイトルに含む攻撃性(=問題提起)が語りの随所に表れていて、そこが読みにくいと言えば読みにくいのですが、若い著者が受験用の歴史観から研究者の間での共通理解(と著者の主張する歴史観)へ判りやすい警句を発していると受取りました。
また何度も読み返しそうです。
最近のコメント