間(あいだ)2012年07月26日 23:23

樹と樹のすき間
いつも刺激を下さるIさん主催のプライベートな会がありまして、今日も沢山の話題と刺激を頂いてきました。

その会話の中で、あらためて私のテーマを再認識しました。私はいつも「間(あいだ)」が気になっているんですね。

もともとプロダクトデザインを志向していましたが、プロダクトと人との間にデザインの欠落を感じ、UI(ユーザーインターフェイス)デザインに関わる契機になりました。
以前はハードウェアとソフトウェアの間には構造的にデザインが欠けていたこともあり、GUI(グラフィカルユーザーインターフェイス)のデザインを沢山させて頂きました。

ところでGUIはやはりアップルが広めた価値とも言えまして、GUI以外の人とシステムとのインターフェイスはまだまだこれからが楽しみな分野です。(AUI、MUI等々)引き続き「人とモノとの間」「人とシステムとの間」をテーマとして探求していく所存です。

そして、最近ますます気になっている「間」があります。「モノと建築の間」「私のモノと誰かのモノの間」のふたつです。文字通りのスペースデザインの範囲なのかも知れませんが、意図出来ないものの組合せを調和させるたるの視座、もしくはアプローチ法はとても興味深いです。

そこで「居心地の良いカフェ」とか「効率のよいオフィス」等の合目的的な思考を一度停止しておきまして、モノ同士が調和を取る(そのように見える)と言う見方に注意しています。

このイメージは、少し(かなり、かもしれません)飛躍しますが、森を真下から見上げた時のような「樹と樹のすき間」のようなものをイメージします。
樹と樹のすき間は光や風を通し、それを構成する木々だけでなく森全体の利益を生んでいるそうです。
これを樹の意志と見ることには慎重ですが、樹を含む森がその様に進化してきたことには違いないでしょう。(樹は自らの利益のために生分解出来ないセルロースを作っていました。それを分解するバクテリアが現れて現在のようなサイクルが出来上がるのには、恐竜が絶滅してから現在までの時間よりもはるかに長い時間がかかりました。)

・・飛躍のし過ぎは、私の視点が定まっていないからですね。
今はまず「人」をひとつメタに捉える「社会」としてみた場合の振舞いをしらなくては、と思っています。(道は遠い!)
dmc.
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