「社会環境単位」 ― 2012年07月27日 23:40
今日は横浜国立大学の北山スタジオの学生たちによるプレゼンテーションを拝見しました。
私の住む地域は山坂の多い木造密集地域で、その良さを生かしながら問題点を解決するという課題設定を通して「社会環境単位」を追求するテーマです。今回、地域住民ということでその機会を得ました。
資料にも発言にも「公共」という言葉は出てきませんが、これまでの建築による分断の結果の遺物を公共に益するものに変換する、という視点(問題意識)を強く感じました。
配付されたサマリーには「私たちが求める新しい建築は『繋ぐ建築』である」とあります。
おぼろげながら自意識を再認識した翌日、このテーマでのプレゼンを伺う事に驚きを感じてしまいます。
そして、「繋ぐ」という非物理的な行為を含むテーマを建築という物理的な装置を主体として解決を試みる(これは建築という立場では当然の事なのかも知れませんが)ことにも大いに共感しました。
それは「間」が、それだけで取り出して語る事が出来ないことと共通するからですね。
・・うーん、、昨日から判りづらい言い回しばかりですねぇ。
詳細を後日あらためてレポートしたいと思います。
私の住む地域は山坂の多い木造密集地域で、その良さを生かしながら問題点を解決するという課題設定を通して「社会環境単位」を追求するテーマです。今回、地域住民ということでその機会を得ました。
資料にも発言にも「公共」という言葉は出てきませんが、これまでの建築による分断の結果の遺物を公共に益するものに変換する、という視点(問題意識)を強く感じました。
配付されたサマリーには「私たちが求める新しい建築は『繋ぐ建築』である」とあります。
おぼろげながら自意識を再認識した翌日、このテーマでのプレゼンを伺う事に驚きを感じてしまいます。
そして、「繋ぐ」という非物理的な行為を含むテーマを建築という物理的な装置を主体として解決を試みる(これは建築という立場では当然の事なのかも知れませんが)ことにも大いに共感しました。
それは「間」が、それだけで取り出して語る事が出来ないことと共通するからですね。
・・うーん、、昨日から判りづらい言い回しばかりですねぇ。
詳細を後日あらためてレポートしたいと思います。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://dmc.asablo.jp/blog/2012/07/27/6525219/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。