わかりやすさの向こう側 未知を探す ― 2010年10月06日 23:59
先日紹介させて頂いた「サウンドスケープ」に紹介されていますが、目を閉じて耳を澄ませ、暫く神経を傾けていると、今まで聞こえているのに聴いていなかった沢山の音がある事が判ってきます。
上手く聞き分けられれば、何となく不快だったり、なんとも心地よい感覚の、その正体がわかるかもしれません。
また、Ustなどで不慣れなマイクセッティングでは、その場では気付かない紙をめくる音やキーを叩く音が目立つのを感じた事があるかもしれませんが、機械を通す事で無意識にキャンセルしていた音が立ち現れてきます。
いずれも、物理的に響いている音と、私たちが無意識に選択して聴いている音には相当な差がある、という事が背景にあるからでしよう。これは、長い年月を掛けて生命が獲得した能力であり、優先順位に基づいていると感じます。
これは私の私案で根拠があるものではありませんが、しかしこの「無意識の選択」は、意識的に拾って行こうとする積極性とのバランスがあって成り立っているとも思っています。
情報が指数関数的に増え、かつアクセス出来る状況では、わかりやすさも追求されていきます。それは必然ですね。
その「わかりやすく提示された大量の情報」に触れていると、「未知」がない錯覚に陥る事もありそうです。
例えば、初めて旅する町の地図と航空写真とウェブサイトとブログの評判をひとしきりチェックして、行く前から詳しくなってしまう方は多いのではないでしょうか?
それは今では普通の事と言えますが、実際に旅した時に、その知識の中で行動する方と、あえて外して行く方とは分かれそうですね。
どちらが豊かとか楽しいとか、一概には言えないことですが、自分だけの「未知の発見」がある事を私は好んでいます。
この発見が旅の喜びの大きなテーマですが、日常の中で当り前になっている認知にも言えますね。
いつも私が楽しんでいる「町内は旅するように、旅先は住んでいるように歩く」は、本当に発見があってお薦めなのです。
さて、回りくどい言い方をしてしまいましたが、判りやすさの向こう側にある未知を意識すると、日常の景色もがらっと印象が変わるのではないか、というお話です。
これをUIデザイン的に捉えれば、主題と背景を同時に伝えるというテーマになりそうです。
過去記事:聴く技術「サウンドスケープ」2冊
http://dmc.asablo.jp/blog/2010/10/04/
上手く聞き分けられれば、何となく不快だったり、なんとも心地よい感覚の、その正体がわかるかもしれません。
また、Ustなどで不慣れなマイクセッティングでは、その場では気付かない紙をめくる音やキーを叩く音が目立つのを感じた事があるかもしれませんが、機械を通す事で無意識にキャンセルしていた音が立ち現れてきます。
いずれも、物理的に響いている音と、私たちが無意識に選択して聴いている音には相当な差がある、という事が背景にあるからでしよう。これは、長い年月を掛けて生命が獲得した能力であり、優先順位に基づいていると感じます。
これは私の私案で根拠があるものではありませんが、しかしこの「無意識の選択」は、意識的に拾って行こうとする積極性とのバランスがあって成り立っているとも思っています。
情報が指数関数的に増え、かつアクセス出来る状況では、わかりやすさも追求されていきます。それは必然ですね。
その「わかりやすく提示された大量の情報」に触れていると、「未知」がない錯覚に陥る事もありそうです。
例えば、初めて旅する町の地図と航空写真とウェブサイトとブログの評判をひとしきりチェックして、行く前から詳しくなってしまう方は多いのではないでしょうか?
それは今では普通の事と言えますが、実際に旅した時に、その知識の中で行動する方と、あえて外して行く方とは分かれそうですね。
どちらが豊かとか楽しいとか、一概には言えないことですが、自分だけの「未知の発見」がある事を私は好んでいます。
この発見が旅の喜びの大きなテーマですが、日常の中で当り前になっている認知にも言えますね。
いつも私が楽しんでいる「町内は旅するように、旅先は住んでいるように歩く」は、本当に発見があってお薦めなのです。
さて、回りくどい言い方をしてしまいましたが、判りやすさの向こう側にある未知を意識すると、日常の景色もがらっと印象が変わるのではないか、というお話です。
これをUIデザイン的に捉えれば、主題と背景を同時に伝えるというテーマになりそうです。
過去記事:聴く技術「サウンドスケープ」2冊
http://dmc.asablo.jp/blog/2010/10/04/
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