評価不能を越えて ー多様化から正解志向へー2011年06月16日 23:59

「失われた20年」なんて、お世辞にもいい言葉ではありませんが目を背けるわけにも参りません。
この20年で私たちが失い続けているものは経済的なものだけではないでしょう。私はその中で「評価」「判断」「選択」といった、主体的な行動の欠落について思う時、長く続いている傾向に、また自身の振舞いに思いが巡ります。

バブルと言われた時代、価値観の多様化や付加価値が謳われました。商品市場は細分化され、趣向を凝らし、機能を盛込み、華やかさを与え、「気分」や「のり」を大切にして、実に個性的な様々な商品が棚に並びました。
例えばある一部の女性に流行した、くるっと丸めた前髪の為だけの「前髪専用カーラー」の様に、ターゲットとなるユーザーをぐっと絞込んだもの。
また「限定○○台」と銘打った自動車の様に、デザインにファッションを取り入れ、ロングセラーではない形でより深く気に入られることを目指したものなど、いずれもよりパーソナルな価値観に近づこうとしていたと思います。

私は、この多様化を好意的に受取っていました。好景気を背景として様々な価値観が試され、その中から自分自身にあった方向性を見つけ出し、新たに多様な文化を築いて行ける事を思いました。

ところが、実際は逆の方向に進んだようです。

メーカーは消費傾向として家族構成と財布の出所を吟味するようになり「売れる」デザインによりシフトして行きました。
この頃、仲の良い母と娘が同じブランドで揃えるようになったり、家族で出かけられるミニバンが台頭したりしましたね。
消費者も沢山の選択肢の中からより「賢い」消費を求めるようになりました。
賢い消費はやがて「正解」を指すようになって行きます。

ここで、ミリオンセラーのシングル盤を調べますと、80年代(発売日基準)は12曲で、演歌、歌謡曲、ポップスとジャンルが散らばっているのに対して、90年代は174曲。ジャンルは圧倒的にJ-POPが多く、ある一時期に同じミュージシャンやプロデューサーが手がけていることが特徴的です。
(こちらのサイトを参照しました→http://homepage1.nifty.com/shislabo/million/millionseller.htm
私の記憶ですが、一位と二位以下の差が激しいことも特徴的だったと思います。(「春一番」と「およげたいやきくん」のようにヒットの時期が長く重なることは無かったでしょう)
様々な要因があるはずですが、「正解志向」が顕在化したと言えるかも知れません。

(明日へ続きます。)
dmc.
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