評価不能を越えて ーもの離れの示唆するものー2011年06月17日 23:59

(昨日の続きです。)

やがてバブルが弾け、メーカーは細分化した商品開発を見直しました。ヒットしない商品は重い負担になるからですね。
その頃提唱されたのが「UDユニバーサルデザイン」です。「皆が使える」と言うのは一つの理想であり、この理想は永遠性を持っていますね。
しかしこの時代のUDは、商品点数を減らすべきメーカーにとっては「大衆の再定義」としても大いに機能したことでしょう。
コスト競争と低価格志向によってメーカーも正解志向に傾いて行きました。

またエコロジーも浸透し始め、「○○にやさしい」という言葉が沢山見受けられるようになりました。メーカーは消費者に配慮を求めるようになったとも言えるでしょう。

このあたりから各種アンケートの上位に「価格」と「デザイン」を多く見かけるようになったように思います。
数年前のことになりますが、ある情報機器はシェアナンバーワン以外は全て赤字という衝撃的なニュースがありました。覚えておられる方も多いことでしょう。
バブルで多様化を経験した消費者に出来るだけ共通の商品で応えて行くためなのかもしれませんが、スペックは正解を、価格は安く、デザインは多様にならざるを得ないのでしょうね。

そしてこれらの背後では「もの離れ」が始まっていました。
今の20代から下の世代は消費意欲が少ない、物を買わないと言われていて、実際に私のまわりにいる若者たちもその傾向を強く感じます。
服は貰ったり交換したり、鞄やポーチは雑誌の付録だったり、外食よりお弁当を自作し、車には乗らず、ガジェットもお下がりを心から喜んでいる、、。

日航の入社式の服装が、20年前と比して均一であることを挙げた記事がありました。正解志向の究極の姿かも知れません。これ以外にも彼らを揶揄するものを散見しますが、私は彼らを責める気はあまりありません。
彼らは、私たちが作ってきた社会の鏡であり結果なんですから。
件の服装の記事も「大人は個性を理解も判断もしないし出来ない」ということを見抜いているからこそ、あの様になったと思います。

かくあるのはそのようにしてきたのです。

彼らはその上の世代が結局は流されてきた市場のコンテクストに強烈にノーを言った初めての世代なのだ、彼らこそブルーオーシャンである、、。これが私の肯定面での認知です。
彼らがときめいていることに目を向けることが出来れば、イノベーションの種が沢山見つけられるのではないでしょうか?
dmc.
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