「正しいデザイン」?2009年09月08日 16:16

「正しいデザイン」は、最近見聞きするようになった言葉です。「日経デザイン」も特集を組んでいましたね。
デザインが「美しい」や「売れる」という視点だけでは、「無駄な製品も成立してしまう状況」に問題提起をして、全ての課題に答えるもの、つまり「正解」を導き出すぞ、という決意が滲んでいます。
以前、「正」と言う文字は「一つに止まる」とよむ、と教わった事が有ります。たしかに「これしかありえない」というデザインを導き出せば、それは正しいといえるかもしれません。

話は飛びますが、私は以前「正しい生活」といテーマでコンセプターとしての活動をしていた時期がありました。90年代初頭、価値観の多様化が言われていたバブル末期の頃です。
「あれもこれもある」という商品ラインナップは必ず手詰まりになります。また消費者は目移りのはてに根拠無く商品選択を行うことを無意識に避ける様になり、結局は一つの商品に集中するだろう、、と予測を立て、であるならば「これが正解です」と先に打ち立ててしまおうと考えたのでした。

振り返ってみて、総論としては的を射ていたと言えるかもしれませんが、具体的な個別の商品については、まだまだ多くの力量と多方面の努力が必要でした。

私はこの活動を通して「デザインの正しさ」についての私なりの肌感覚を養っていたと思いたいですね。生活する人を中心に置いた時、「正しさ」を裏付けるものが常に揺れている事を知りましたが、その揺れをどの様に解釈し、デザインとして表していけばいいか、、今は少し判る気がしなくもありません。。

デザインの過程の中での正しさとは「必然」です。もちろん、ユーザーの消費者としての価値観に対してだけでなく、提供する側の事情、経済事情、社会規範に対して、全てに必然性を持つという事です。
この必然はいつも揺れています。(私は人の心が意識と無意識の間を行ったり来たりする姿に似ているなぁ、と感じています)ですから、具体化される製品も揺れます。唯一という意味では「正解」を決める根拠を持てなかったのです。
だから、というわけではないのですが、私は「正しい」という看板を下げたのでした。

さて、今言われている「正しさ」は、戦略的な響きをもって新鮮です。唯一の正解を求めるという意味ではなく、様々な価値観や立場や事情に対しての解を求める、デザイン本来の活動を指しているように思います。
私はこのような解の名前を最近知りました。「納得解」です。

 正しいデザインをすることは納得解を求める事。

誰が納得する解なのか、がその時代の正しさなのでしょう。

過去記事:納得解
http://dmc.asablo.jp/blog/2009/04/16/4247775

BADNING FORBUDT(遊泳禁止)2009年09月09日 23:07

BADNING FORBUDT(遊泳禁止)
コペンハーゲンで見かけた遊泳禁止のサインです。救命用の浮輪をそのままサインに用いる発想が面白いですね。
「落ちたら危ない」というメッセージが「遊泳禁止」よりも先に伝わってくる印象が、なるほど合理的だなと感じました。

その下の可愛らしい犬のマークは「犬はひもでつなぐこと」だそうです。

過去記事:アイコン
http://dmc.asablo.jp/blog/2009/05/29/4330451

チェッリーニ作「ペルセウス像」2009年09月10日 21:01

チェッリーニ作「ペルセウス像」
「フィレンツェを訪れたなら覧なければならない」初めは少々大げさだと思いましたが、そう言わしめるものがウフィッツィ美術館にはたしかにありますね。ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ボッティチェッリ、、ウフィッツィを覧るためだけに訪れたいと思った事もありました。

そのウフィッツィの前に開けたシニョーリア広場には「彫刻廊」(ロッジア・ディ・ランツィ)と呼ばれる場所があり、そこにこの像はあります。
メドゥーサの首を掲げる若きペルセウス。落とした首からこぼれる沢山の蛇、ふみつける筋肉の隆起、この表情の生々しさ、、心を吸い取られるような恐ろしさを感じました。私が今更申し上げるまでもなく傑作です。
調べて見ますと1554年作、屋外ではありますが屋根があるためでしょうか、本物が飾られているようですね。素晴らしい。

このロッジアには他にも見るべきものが沢山並んでいます。ウフィッツィも魅力的ですが、この場所の凄みを感じさせるほどの存在感に心惹かれます。

鎌倉にて2009年09月11日 21:13

鎌倉にて ミチクサ
昭和の初め頃に建てられたお宅で、ミチクサを使って下さっていました。感激です。
渋い火鉢と鉄器にそっとそえるように、庭の草花が活けられています。深いひさし越しの柔らかい光がとても綺麗でした。

「かげおくり」2009年09月14日 11:30

観覧車
自分の影を暫く見つめて、そのまま空を見上げると影の形が空に映って見えます。子供たちはこの遊びが好きなようで、外にいて空が晴れていると、時々思い出したように色々なポーズをとって遊んでいます。

この遊びを子供たちは「かげおくり」と呼んでいます。どこか寂しげな響きがしますが、調べてみましたら「ちいちゃんのかげおくり」という童話にこの名があり、それが小学校の教科書に載って広まったとのことです。無名の遊びに名付けたとのことでした。

昨日は思いがけず夏空が戻りましたが、出先の広い空間で暫く遊んでいました。定番の「ピサの斜塔を支えるポーズ」の様に、ビルや観覧車と自分の影を組合せてポーズをとったりして、素朴ながら子供に混じって楽しかったです。
dmc.
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