「洋式」ってわかりづらい? ― 2012年09月03日 23:35
先週は熱海まで行く用事があって、いい天気の中をドライブしてきました。
横浜から熱海までは「やっぱり車の運転が好きだなぁ」と思うコースで、高速、海辺、くねくねの山道が続いていました。
さて、その途中、リニューアルされたばかりのサービスエリアで見かけた説明書きです。
中国語(繁体・簡体)とハングルで使い方が書かれています。
トイレ内の正しく座らないと読めない位置に貼られている事にちょっと違和感を覚えながら、近隣国からの旅行者が増えているんだなぁとあらためて思いました。
こちらは熱海で見かけました。1974年、約40年前のものです。プライベートな施設なので残されたままでした。
70年代はまだ洋式トイレの説明が(もしくは説明書きが)必要だったのですね。
椅子は座る事をアフォードしているといいますが、「穴の開いた蓋の上に座ることをイメージ出来ない」ということは容易に想像出来ます。文化が違いますものね。
話は飛びますが、この例ようにアフォーダンスも文化により、また習熟度により異なると言う事は自然な事です。ですからある機器に「自然な操作感」を感じたら、それは貴方のためによくデザインされたものと言えるのですね。
「名のないもの」との出会い ― 2012年09月04日 23:20
偶然なのでしょうけれど、「名のないもの」との出会いが同時に3ヶ所で企画されています。
「ほんのまくらフェア」
新宿 紀伊国屋本店 9/16まで
http://www.kinokuniya.co.jp/store/Shinjuku-Main-Store/20120725000000.html
「CDブラインド販売」
渋谷 残響ショップ 常設
http://www.drillspin.com/articles/view/139
「用の美とこころ 民藝展《展示・即売》」
日本橋 高島屋 9/10まで
http://www.takashimaya.co.jp/tokyo/event/index.html#os967
先の二つはあえて名を伏せて先入観を取り払い「作品そのものとの出会い」を標榜しています。
民藝展は匿名のものだけではありませんが、伝統的な職人技に対して個人名の比重は相対的に抑えられています。
いずれも話題になっていますので既に行かれた方も多いでしょう。
あえて「無名の逸品」との出会いを演出している言う意味では、やはりその場への思い(バイアス)があっての販促には変わりませんが、注釈や物語過多を感じているからこそ、共感を得ているのかもしれません。
それでは本当に先入観を排して作品と出会う事が出来るのでしょうか、また私はその状況で自分の中で納得の行く選択が出来るのでしょうか、日本の特徴であると言う匿名性を有意な特質として感じる事が出来るのでしょうか、、明日から順に体験してこようと思います。
「ほんのまくらフェア」
新宿 紀伊国屋本店 9/16まで
http://www.kinokuniya.co.jp/store/Shinjuku-Main-Store/20120725000000.html
「CDブラインド販売」
渋谷 残響ショップ 常設
http://www.drillspin.com/articles/view/139
「用の美とこころ 民藝展《展示・即売》」
日本橋 高島屋 9/10まで
http://www.takashimaya.co.jp/tokyo/event/index.html#os967
先の二つはあえて名を伏せて先入観を取り払い「作品そのものとの出会い」を標榜しています。
民藝展は匿名のものだけではありませんが、伝統的な職人技に対して個人名の比重は相対的に抑えられています。
いずれも話題になっていますので既に行かれた方も多いでしょう。
あえて「無名の逸品」との出会いを演出している言う意味では、やはりその場への思い(バイアス)があっての販促には変わりませんが、注釈や物語過多を感じているからこそ、共感を得ているのかもしれません。
それでは本当に先入観を排して作品と出会う事が出来るのでしょうか、また私はその状況で自分の中で納得の行く選択が出来るのでしょうか、日本の特徴であると言う匿名性を有意な特質として感じる事が出来るのでしょうか、、明日から順に体験してこようと思います。
評判の力「ほんのまくらフェア」 ― 2012年09月05日 23:16
昨日書きました通り「名のないものとの出会い」を体験してきました。
今日は「ほんのまくらフェア」 です。
書き出し(これをこのフェアでは「ほんのまくら」と名付けています)のみ印刷されたカバーが掛かり、中が見えないようになっている文庫が100冊。
この写真と棚がもう一つの小さなコーナーでのフェアですが、全てに特製のカバーがかけられ、全てに手書きの紹介文が添えられていて、かかる情熱を感じますね。
ーもう中身もみないで、自分の「まくら」に対する感覚で本を選ぶのって楽しいかもしれない(略)きっと不思議な本との出会いが待っているはずです。ー
そう書かれた通り、100冊全部のカバーに目を通して、書き出しから受ける物語への予感と語り口で印象に残るものを探しました。
・・うーん、、私には選べないかなぁ。。
本当に書き出しの数行、本によっては一文のみの「まくら」からでも伝わるものがあります。しかし、その先をもう少し読みたいかどうか以上の気持ちにはなりませんでした。
ただこれは作品と今日の私との相性と言うのが一番大きいのかも知れません。その意味で「純粋な出会い」は私にはありませんでした。
とは言えもう少し読んで見たい、というのもいくつかありましたので、添えられた紹介文にも目を通しました。
紹介文。
この紹介文は想像以上の影響力ですね。ぱっと立ち上がるものをかなり左右します。そして何より「読んで見よう」という気持ちにさせます。
そうして選んだ3冊です。
カバーをとったところ。
ほぉ、見事にばらばらで、2冊は(失礼ながら)存じ上げない方です。
それぞれ数ページを読んだところでは、まくらで思い描いたイメージに近いもの、近い所と遠い所のあるもの、全然違ったものにきれいに別れました。
企画趣旨は「まくら」でしたが、私にとっては「紹介文フェア」と言えまして、紹介文の「評判の力」(もしくは私自身が気にしているのが実は評判の方であること)を改めて実感する経験となりました。
小説は好きですしそこそこ読める方だと思っていた私にとって、書き出しで選べないと言うのは自分の読み手の実力を見透かされたようでちょっとショックかも。
ちなみにネットの試し読み販売等を見ますと数ページから数十ページ読めるようになっています。こちらは物語りを実際に味わえるので判断しやすいですね。
「ほんのまくらフェア」
新宿 紀伊国屋本店 9/16まで
新宿 紀伊国屋本店 9/16まで
音楽の好みって難しい ― 2012年09月06日 23:00
「名のないもの」との出会い、今日は「渋谷残響shop」でCDのブラインド販売です。
店頭。
入ってすぐの試聴コーナー。
「音楽との出会いを提供したい」という思いは、CDケースに添えられた手作りのカードの丁寧さにも現れていました。
早速カードに抜き書きされた歌詞を眺めます。昨日の「まくら」の戸惑いが残っていたため歌詞から選ぶことに一瞬だけ気が重くなりましたが、試聴ですので印象にのこったものをピックアップしました。音楽は好きか嫌いかは判りやすいので、どんどん飛ばし聴きしていけます。
しかしなかなかこれというのがなくて、お店の方に幅広くランダムにピックアップして頂きました。
この時、音楽の好みを伝えるのが難しかったです。ジャンルだとこれというものがない(クラシックでも演歌でもロックでもポップスでもアニソンでも好きなものがある)ので、好きな曲を羅列しました。言いながらその統一感のなさにちょっと腰が引けました。(うーん、昨日から続けてダメなワタシを見せられているよう)
お勧め頂いた中から「テクニカル」「ポストクラシック」と呼ばれる2つのジャンルのものが印象に残りました。
そして購入したのがこちらです。
アイスランドのÓlafur Arnalds(オーラヴル・アルナルズ)さんの「...And They Have Escaped The Weight Of Darkness」
現代音楽ですね。
自分としては「えぇ?まさか!」というチョイスです。でもこれ素敵な音楽なんです。
これは「出会い」でした。
これ一枚で「現代音楽も好き」というのははばかれますが、、やっぱり音楽の好みって難しいですね。その難しさを越える機会として、試聴(販売)は有効なのでしょう。
昨日の「本」、今日の「音楽」、2つの「タイトルと作家名を伏せられての購入」を経験しました。本は中身まで伏せられているので同じ条件とは言えませんが、欠落が「手にとって見よう」と思わせる「引き」であることは確かなようです。
そう言えば子供の頃「プロ野球カード」で目当てのスターの替わりにひいた選手が好きになったと言う話しを誰かしていたような、、。「縁」というものに感じる特別な感情の仕業なのでしょうかね。
「CDブラインド販売」
渋谷 残響shop 常設
渋谷 残響shop 常設
民藝再び 「自分はいいものを選ぶ」の時代 ― 2012年09月07日 11:01
「名もないものとの出会い」、今回は「民藝展」です。
ポスターには「用の美とこころ」とあります。
私の大好きな柳宗理さんの父、宗悦さんや河井寛次郎さんたちが興した「民藝運動」は、大正末期の日本で伝統的な手仕事の良さを再発見する運動でした。当時全国から集めた「民藝品」は大変好意的に受止められたようです。
(事実、各地で「民芸品」が作られるようになって行きました。)
今回は70年前の民藝展の続き、第2回と位置づけて1年がかりでバイヤーが買い付けたものたちだそうです。手あかのついてしまった「民芸品」を、もう一度「民藝」として再評価しようと言う思いが込められているように感じました。
「柳宗理デザイン」のものなども「民藝」を受け継ぐものとして紹介されています。
母に買った樺細工。
桜の樹皮を何故樺と呼ぶのか訊き損じましたが、軽くて精緻で渋くて収まりのいい茶筒です。
いやぁ、手に取って購入出来ると言うのは普通のことですし、普段見慣れている事もありますので、今回の「名のないものとの出会い」の中では最も冷静に品定めが出来ました。
道具類は長く使わないと評価が難しいのですが、そこが「長く愛されてきた」「選び抜かれた」という前提が補っています。初めて見聞する職人の名前、佇まいも信用に足る姿をしています。ですから決して安くないお値段でも安心して買う事が出来ます。その意味では決して無名ではありませんね。
民藝が盛んになった大正末期は、明治から続く外国文化の受容も一息つき、第一次大戦の戦勝国として好景気に沸いたことも自尊心を高めて、自分達の文化を見直そうという気運が高かったのでしょう。ファッションを謳歌した「モボ・モガ」もこの頃です。また「大正デモクラシー」と呼ばれた政党政治、つまり一般人の政治意識が高まった頃でもあります。震災があった事も付け加えまして、これらの世相が現在と類似しているという言説も見かけます。(もちろんだからと言って同じように世が進むと言うのは早計だと思いますけれど)
さて、、今回「名のないものとの出会い」という切口をなかば強引に見立てて三ヶ所を廻りましたが、共通していたのは「自分でいいものを選ぶということの疑似体験」だったかもしれません。
少なくとも私自身は、本では「紹介文」に、音楽では「店員さんのセレクト」に、民藝品では「バイヤー」へ無意識の信頼がありました。(そもそもそこを疑ったらこれらの企画自体が成り立たないと思いますので)そして購入後に知るそられらの素性に納得と手応えのようなものがありました。
無名という形が、バイアスの掛かっていない「本当の価値らしさ」を感じさせ、名を知る事で「選んだものが良いものである」という付加価値を付けている、、言い過ぎでしょうかね?
私が共通に感じたものが「自分自身の価値観で本当のものを選びたい」という気分によるものだとしたら、それはとても納得の行くエクスキューズだと思います。
[自分はいいものを選ぶ]という時代感覚が正しいとしましたら、ある意味では嬉しく、またある意味ではちょっと重たいなぁ、と感じています。
「用の美とこころ 民藝展《展示・即売》」
日本橋 高島屋 9/10まで
日本橋 高島屋 9/10まで
BioLite届きました。 ― 2012年09月10日 23:28
以前、こちらでご紹介した(薪をきれいに燃やす「BioLite Stove」)BioLite Stoveが届きました。
本体以外に取り扱い説明書とUSBケーブル、袋、着火剤が付属しています。
はじめに内蔵バッテリーを充電します。2時間程度でインジケーターが緑になりました。
ペレット燃料(こちらを使いました)400gが丁度入る大きさです。
本体が焦げないよう風向きに注意して設置します。脚がしっかりしていて重量もありますので安定感があります。
付属の着火剤に点火。ライターで簡単に火がつきました。
説明書通り、火がついてから10秒待ってファンのスイッチをローに入れ、暫くしてからハイにして火力を上げ、水を火にかけました。
最初はファンが自動(?)でオフになり不完全燃焼しましたが、ファンを回すと炎はすぐに復活しました。
外気温34.3度の日陰で、水温29.6度の水500mlが約9分で沸騰しました。
沸騰まで燃料消費はこれくらいです。
また、ファンが回っていれば煙は全くありません。
着火から約10分でインジケーターが電力供給可能な緑になりました。
着火からファンをハイにしたまま約55分。火力がおちはじめました。
着火から約70分。とろ火程度の熱が残りますが赤いものは見えなくなりました。
ファンをオフにしますが自動でローのスイッチが入ります。
上からのぞくとこんな感じです。
灰はこの程度です。写真では判りませんがまだ小さな火が残っていました。
完全に燃え切るまで放置すれば半分程度まで減量すると推察されます。
約70分間火にかけ続けたコッヘルの煤け具合。
400gのペレットで1時間程度の調理が可能、水を湧かすだけなら3リットルはいけそうです。ファンが回る限り煙たい思いは全くしません。ウッドガスストーブの良さを実感しました。
ただ、、本体が防水ではないので、吹きこぼれに非常に気を使いました。またスイッチとUSBプラグを触る時、手のすぐ上にお湯があるのがちょっと嫌ですね。
やはり電気、水、火というそれぞれ相性のよくないものが微妙な位置関係で並んでいるのが気が休まらない印象でした。
これをアウトドアに持ち出して使ってみたらどうなるのか、、うーん、どうでしょう。
給電を「おまけ」と割り切れば「電池交換の要らないかっこいいウッドガスストーブ」として自慢出来そうですが、、。一度使って見ようと思います。
充電性能についてはこちらのレビューが詳しいです。ご参考まで。
ポップコーンつくりました。 ― 2012年09月11日 12:13
先日頂いた「イエローポップ」、休みの日に近所の子供たちとポップコーンを作りました。これが盛上ったんですよね〜。
電子レンジやフライパンで作った事はあっても、粒を外すのはみな初めて。カチカチの粒々がぽろぽろととれるのも面白いですし、部屋の端まではじける瞬間も驚きです。
身近な何気ないものの面白み、子供たちの思い出になったら嬉しいなぁ。
ちなみにコーン一本で3皿分ができました。
過去記事:イエローポップ
http://dmc.asablo.jp/blog/2012/08/31/
電子レンジやフライパンで作った事はあっても、粒を外すのはみな初めて。カチカチの粒々がぽろぽろととれるのも面白いですし、部屋の端まではじける瞬間も驚きです。
身近な何気ないものの面白み、子供たちの思い出になったら嬉しいなぁ。
ちなみにコーン一本で3皿分ができました。
過去記事:イエローポップ
http://dmc.asablo.jp/blog/2012/08/31/
複雑さを引受ける ― 2012年09月12日 13:15
インターフェイスデザインに置いては基本のひとつである「テスラーの複雑性保存則」と呼ばれる見識があります。
私の記憶とメモでは「ある目的を達成するために必要な複雑さは、どのような方法を採るにせよ、全体では一定の複雑さがあり、それ自体は解消されない」です。
検索しますと、原典はアップルの副社長だったラリー・テスラーの、、
「システムの全体の複雑さは一定である:どんなアプリケーションにも、軽減出来ない複雑さの固有の量がある。唯一の問題は、それに対処しなければならないのが誰かということだ。ユーザーか、開発者(プログラマーやエンジニア)か。」(D.A.ノーマン著「複雑さと共に暮らす」)
のようですね。
これはよくデザインされたシステムは開発者が複雑さに対処して「ユーザーにシンプルにして見せている」ということを言っていまして、この文脈において「開発者(デザイナーも)は複雑な課題を超越して、できる限りシンプルに見せる必要がある」と言われてきました。
これまでの多くのUIの場合、ほとんどが新製品であり、従ってユーザーはこれから触る初心者ですので、この「できる限りシンプルに」は自明の理でした。
しかし、プロダクトデザインにおいては習熟度の高いユーザーのもの、混在するものもあります。ですのでその場合は一概に「シンプルな方が使いやすい」とは言えない、、そう感じてきました。
以前も比較したことがありましたが、初代のiPodの「使いやすさ」は「全体の把握のしやすさ」であり、対して「ウォークマンの使いやすさ」は「操作効率の高さ」で、目指しているものが違います。
「シンプルで完成度が高く見える」のは前者ですね。でも楽曲の選択とボリウムとモード切替を連続して行うのは手数が掛かりました。
一方「使いこなすと手に馴染む」のは後者です。ちょっと見は複雑そうですがそれが可能性を可視化してしいて慣れるとすぐに目的が達成され、ブラインドタッチも可能でした。日本の製品は後者の傾向が強かったですし、いまでもそうだと感じる事があります。
私は、習熟度が上がる事で変化する使いやすさを、テスラーの保存則に則して言うと「ユーザーが複雑さを多く引受けることは、より使いやすくなること」と言えると思っています。
キッチンツールや絵筆など、初心者から達人まで幅広い世界の道具をみてみますと、初心者用の万能品、上級者用の細分化された道具類、達人用の究極の一本、のような大まかに3段階があるように思えます。
道具を視覚的に捉えれば「シンプル」→「複雑」→「シンプル」ですが、ユーザーが引受ける複雑さは増加し続けています。乱暴にいい切れば「ユーザーが複雑さを全て引受けると道具は簡素なものになる」のかもしれません。
ちなみに現在のiPodはタッチスクリーンで(以前と比較して)複雑な操作をしています。これはユーザーが複雑さを受け入れたのです。そういえばアップルマウスもシングルボタンからマルチボタンになりましたね。
アップルが素晴らしいのは「シンプルさ」というアイデンティティを守りながらより複雑なものを提示し続けている事だと思います。(ここは「連続性」「統一性」「汎用性」という、日本のものづくりでは弱いとされる部分が関わっていると考えています。)
物事を整理して問題を解決する、というのがデザインの一つの大きな役割である事は間違いありません。ただし、その目指すべき状態はユーザーの状況による、ということが大切です。
(結局、至極当然の結論になります・・)
あ、それから「複雑さと共に暮らす」は、まさにこれらのことが書かれている本のようですので早速拝読したいと思います。
私の記憶とメモでは「ある目的を達成するために必要な複雑さは、どのような方法を採るにせよ、全体では一定の複雑さがあり、それ自体は解消されない」です。
検索しますと、原典はアップルの副社長だったラリー・テスラーの、、
「システムの全体の複雑さは一定である:どんなアプリケーションにも、軽減出来ない複雑さの固有の量がある。唯一の問題は、それに対処しなければならないのが誰かということだ。ユーザーか、開発者(プログラマーやエンジニア)か。」(D.A.ノーマン著「複雑さと共に暮らす」)
のようですね。
これはよくデザインされたシステムは開発者が複雑さに対処して「ユーザーにシンプルにして見せている」ということを言っていまして、この文脈において「開発者(デザイナーも)は複雑な課題を超越して、できる限りシンプルに見せる必要がある」と言われてきました。
これまでの多くのUIの場合、ほとんどが新製品であり、従ってユーザーはこれから触る初心者ですので、この「できる限りシンプルに」は自明の理でした。
しかし、プロダクトデザインにおいては習熟度の高いユーザーのもの、混在するものもあります。ですのでその場合は一概に「シンプルな方が使いやすい」とは言えない、、そう感じてきました。
以前も比較したことがありましたが、初代のiPodの「使いやすさ」は「全体の把握のしやすさ」であり、対して「ウォークマンの使いやすさ」は「操作効率の高さ」で、目指しているものが違います。
「シンプルで完成度が高く見える」のは前者ですね。でも楽曲の選択とボリウムとモード切替を連続して行うのは手数が掛かりました。
一方「使いこなすと手に馴染む」のは後者です。ちょっと見は複雑そうですがそれが可能性を可視化してしいて慣れるとすぐに目的が達成され、ブラインドタッチも可能でした。日本の製品は後者の傾向が強かったですし、いまでもそうだと感じる事があります。
私は、習熟度が上がる事で変化する使いやすさを、テスラーの保存則に則して言うと「ユーザーが複雑さを多く引受けることは、より使いやすくなること」と言えると思っています。
キッチンツールや絵筆など、初心者から達人まで幅広い世界の道具をみてみますと、初心者用の万能品、上級者用の細分化された道具類、達人用の究極の一本、のような大まかに3段階があるように思えます。
道具を視覚的に捉えれば「シンプル」→「複雑」→「シンプル」ですが、ユーザーが引受ける複雑さは増加し続けています。乱暴にいい切れば「ユーザーが複雑さを全て引受けると道具は簡素なものになる」のかもしれません。
ちなみに現在のiPodはタッチスクリーンで(以前と比較して)複雑な操作をしています。これはユーザーが複雑さを受け入れたのです。そういえばアップルマウスもシングルボタンからマルチボタンになりましたね。
アップルが素晴らしいのは「シンプルさ」というアイデンティティを守りながらより複雑なものを提示し続けている事だと思います。(ここは「連続性」「統一性」「汎用性」という、日本のものづくりでは弱いとされる部分が関わっていると考えています。)
物事を整理して問題を解決する、というのがデザインの一つの大きな役割である事は間違いありません。ただし、その目指すべき状態はユーザーの状況による、ということが大切です。
(結局、至極当然の結論になります・・)
あ、それから「複雑さと共に暮らす」は、まさにこれらのことが書かれている本のようですので早速拝読したいと思います。
ワンボタンはレベルアップ?ダウン? ― 2012年09月13日 23:48

写真は子供部屋の扇風機のスイッチで、風量と切タイマー時間の切替がそれぞれワンボタンになっています。
風量ボタンを押す度に「ソフト」→「弱」→「強」とレベルアップし、さらに押すと最初の「ソフト」に戻ります。
切りタイマーも同様に「1」→「2」→「4」と遷移をします。
いたって普通で、何の混乱も無いように思えます。
しかし今日、出先のお店で逆の遷移をするスイッチを見つけました。(残念ながら写真はありません)
それはIHヒーターの火加減調整スイッチで、「強」→→「中」→→「弱」と7段階でレベルダウンして、「強」に戻ります。
おや?と思いましたが、鍋が吹きこぼれそうになった時は弱くなる方がいいと言う考えなのでしょう、そう推察すると理解した気持ちになりました。
しかし、あまり経験した事の無い遷移でしたので、正直なところ少し戸惑いましたし、何か引っかかるものが残りました。
そのひっかかりとは、吹きこぼれの際の動作の考察から「ワンボタンによるレベル調整はIHヒーターには向かない」という結論には至らずに「特殊な遷移で対応することで解決」というアイデアに落ち着いた所です。
「吹きこぼれの時はすぐに火を弱めたい」ということにせっかく気付いたのですから、他の一般的な機器とは異なる方法(=混乱のリスク)を採用しないアイデアを考えるべきだったでしょう。
コストが許さないと言われそうですが「+」と「-」のボタンを二つ設けるのが最も自然な解決方法でしょう。
どうしてもボタンが増やせないなら「メインスイッチ」を火加減ボタンと関連して置き、「吹きこぼれたらメインスイッチで電源をオフ」を誘導するデザインをしたらいいでしょう。もちろんこの場合の火加減ボタンはレベルアップですね。
何故この様な事が起こるのか、、インターフェイスをどこまで広げて捉え考えたらいいかが問題です。その機器だけ、日本だけを見ていればいいということは無くなってきていますから、その機器の変遷とユーザーの全環境における経験値を推量、検証する必要がありますね。
風量ボタンを押す度に「ソフト」→「弱」→「強」とレベルアップし、さらに押すと最初の「ソフト」に戻ります。
切りタイマーも同様に「1」→「2」→「4」と遷移をします。
いたって普通で、何の混乱も無いように思えます。
しかし今日、出先のお店で逆の遷移をするスイッチを見つけました。(残念ながら写真はありません)
それはIHヒーターの火加減調整スイッチで、「強」→→「中」→→「弱」と7段階でレベルダウンして、「強」に戻ります。
おや?と思いましたが、鍋が吹きこぼれそうになった時は弱くなる方がいいと言う考えなのでしょう、そう推察すると理解した気持ちになりました。
しかし、あまり経験した事の無い遷移でしたので、正直なところ少し戸惑いましたし、何か引っかかるものが残りました。
そのひっかかりとは、吹きこぼれの際の動作の考察から「ワンボタンによるレベル調整はIHヒーターには向かない」という結論には至らずに「特殊な遷移で対応することで解決」というアイデアに落ち着いた所です。
「吹きこぼれの時はすぐに火を弱めたい」ということにせっかく気付いたのですから、他の一般的な機器とは異なる方法(=混乱のリスク)を採用しないアイデアを考えるべきだったでしょう。
コストが許さないと言われそうですが「+」と「-」のボタンを二つ設けるのが最も自然な解決方法でしょう。
どうしてもボタンが増やせないなら「メインスイッチ」を火加減ボタンと関連して置き、「吹きこぼれたらメインスイッチで電源をオフ」を誘導するデザインをしたらいいでしょう。もちろんこの場合の火加減ボタンはレベルアップですね。
何故この様な事が起こるのか、、インターフェイスをどこまで広げて捉え考えたらいいかが問題です。その機器だけ、日本だけを見ていればいいということは無くなってきていますから、その機器の変遷とユーザーの全環境における経験値を推量、検証する必要がありますね。
異次元カーブ スカイツリーを見上げる ― 2012年09月14日 23:36
昨日ある会合があり、その帰り道に夜のスカイツリーを案内して頂きました。
川を挟んだ目の前に建っているのに、何故か存在感の希薄さを感じてしまいます。これはツリーの形状が普段見慣れない「歪み」を持っていて、経験的に「この様に高いものは足下がしっかりしている」という思い込みにそぐわないからかも知れません。
その歪みとは、ツリーの断面形状の事です。
ツリーの最底面部の断面は三角形で、上に行くに従って丸くなり、展望台直下では真円になるようにデザインされています。この変化によって、写真では右手前の下方が凹んで見えたり、左端の太い稜線がねじれて見えているのですね。
また、遠近法を打ち消す効果もあるようで、東京タワーより高いはずの展望台があまり高く感じません。
本当に不思議な形ですねぇ。。「建つもの」より「飛んで行くもの」を感じさせる異次元を繋ぐカーブの様です。
ずっと眺めているとくらくらするのですが(笑)、もっと細く出来たと言う高い技術で造られた非常に繊細で特異な形状を、角度によって変わる歪みや遠近感を確かめながら、あちこちから眺めるのが楽しいですね。
川を挟んだ目の前に建っているのに、何故か存在感の希薄さを感じてしまいます。これはツリーの形状が普段見慣れない「歪み」を持っていて、経験的に「この様に高いものは足下がしっかりしている」という思い込みにそぐわないからかも知れません。
その歪みとは、ツリーの断面形状の事です。
ツリーの最底面部の断面は三角形で、上に行くに従って丸くなり、展望台直下では真円になるようにデザインされています。この変化によって、写真では右手前の下方が凹んで見えたり、左端の太い稜線がねじれて見えているのですね。
また、遠近法を打ち消す効果もあるようで、東京タワーより高いはずの展望台があまり高く感じません。
本当に不思議な形ですねぇ。。「建つもの」より「飛んで行くもの」を感じさせる異次元を繋ぐカーブの様です。
ずっと眺めているとくらくらするのですが(笑)、もっと細く出来たと言う高い技術で造られた非常に繊細で特異な形状を、角度によって変わる歪みや遠近感を確かめながら、あちこちから眺めるのが楽しいですね。
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