SDB08 ― 2008年11月26日 22:39
上海デザインビエンナーレを少し紹介します。
今年で第四回、二年ごとに上海対外科学技術交流中心の主催で開催されているデザインの展示会です。積極的に海外のデザイナーの出展を募っていて、日韓はもとより、前回はイタリア等欧州から、今回は北中米からの出展が目立ちました。
100%designのような「ビジネスチャンスを窺う」というものではなく、上海にデザインを紹介するのが主眼のようです。上海のデザイン学校生は概ね無料で観覧出来、政府の招聘した世界のトップデザイナーの話を聞く事が出来ます。(今回はハートムート・エスリンガー氏が招かれていました。)上海を中国内のデザイン拠点にするという市の政策の一環なのでしょう。毎回(といっても二度ですが)「本物に触れさせたい」という熱を感じさせるものがあります。
公式サイト
http://sdb.sstec.com.cn/
写真は会場の「上海展覧中心」です。
高層ビルなどない頃に、ソ連との友好を記念して立てられたもので、ロシアを意識した意匠との事。なかなか趣がありました。
今年で第四回、二年ごとに上海対外科学技術交流中心の主催で開催されているデザインの展示会です。積極的に海外のデザイナーの出展を募っていて、日韓はもとより、前回はイタリア等欧州から、今回は北中米からの出展が目立ちました。
100%designのような「ビジネスチャンスを窺う」というものではなく、上海にデザインを紹介するのが主眼のようです。上海のデザイン学校生は概ね無料で観覧出来、政府の招聘した世界のトップデザイナーの話を聞く事が出来ます。(今回はハートムート・エスリンガー氏が招かれていました。)上海を中国内のデザイン拠点にするという市の政策の一環なのでしょう。毎回(といっても二度ですが)「本物に触れさせたい」という熱を感じさせるものがあります。
公式サイト
http://sdb.sstec.com.cn/
写真は会場の「上海展覧中心」です。
高層ビルなどない頃に、ソ連との友好を記念して立てられたもので、ロシアを意識した意匠との事。なかなか趣がありました。
ツリーハウスのレストラン ― 2008年11月27日 13:36
ネットの記事から。
ニュージーランドに建設中のレストランだそうです。丘の上に立つ10mのアメリカ杉に18人のお客様を迎え入れる事ができるように作られる、とあります。また様々な要求(立地、強度)を満たすためにこの樹が選ばれた、とも。
これはCGですが、樹は実際のもので、このCGのイメージのまま完成しそうですね。(公式サイトで建設途中の姿を見る事が出来ます)
もしNZに行く機会があれば、ぜひ訪れたいです。また、NZの魅力的な自然とどのように調和しているのかも見たいところです。
NZは少し前にブームになりかけたようですが、その後はどうなのでしょう。富士山に似た山の麓に、桜に似た花が咲く、との事でしたが、きっとその場に立てば、どうしようもなくNZ的な風景なのでしょうね。
・・やっぱり行って見たいです。
公式サイト
http://www.yellowtreehouse.co.nz/
英語の記事
http://www.contemporist.com/2008/11/17/the-yellow-treehouse-restaurant/
日本語の記事
http://www.gizmodo.jp/2008/11/post_4660.html
ニュージーランドに建設中のレストランだそうです。丘の上に立つ10mのアメリカ杉に18人のお客様を迎え入れる事ができるように作られる、とあります。また様々な要求(立地、強度)を満たすためにこの樹が選ばれた、とも。
これはCGですが、樹は実際のもので、このCGのイメージのまま完成しそうですね。(公式サイトで建設途中の姿を見る事が出来ます)
もしNZに行く機会があれば、ぜひ訪れたいです。また、NZの魅力的な自然とどのように調和しているのかも見たいところです。
NZは少し前にブームになりかけたようですが、その後はどうなのでしょう。富士山に似た山の麓に、桜に似た花が咲く、との事でしたが、きっとその場に立てば、どうしようもなくNZ的な風景なのでしょうね。
・・やっぱり行って見たいです。
公式サイト
http://www.yellowtreehouse.co.nz/
英語の記事
http://www.contemporist.com/2008/11/17/the-yellow-treehouse-restaurant/
日本語の記事
http://www.gizmodo.jp/2008/11/post_4660.html
リダンダンシー ― 2008年11月28日 19:00
冗長性、と訳されますが、構造を破壊するリスクを低減するための「余裕」「余地」のことを指しているとのこと。要求される負荷より余裕を持って設計する、ということですね。
デザインにおいても操作に関わる部分のリダンダンシー確保が要求される訳ですが、これを不用意にこなすと文字通り「冗長な」くどいものになり、場合によっては、情報過多から「モチベーションの低下による操作放棄」を導いてしまうこともあります。
これは一つには、人と機械(システム)の間のリダンダンシーを、機械だけに求めてしまうことから起こっているのかもしれません。私は、「機械の冗長性は最小限」にして、「人の側に余裕が生まれる」ようなデザインを意識しています。機械の無駄を省き美しくする事は、それに接する人に余裕を与えると思いませんか。
「デザインは詩である」との、マリオ・ベリー二氏の言葉を思い出しました。この言葉の響きが好きです。
デザインにおいても操作に関わる部分のリダンダンシー確保が要求される訳ですが、これを不用意にこなすと文字通り「冗長な」くどいものになり、場合によっては、情報過多から「モチベーションの低下による操作放棄」を導いてしまうこともあります。
これは一つには、人と機械(システム)の間のリダンダンシーを、機械だけに求めてしまうことから起こっているのかもしれません。私は、「機械の冗長性は最小限」にして、「人の側に余裕が生まれる」ようなデザインを意識しています。機械の無駄を省き美しくする事は、それに接する人に余裕を与えると思いませんか。
「デザインは詩である」との、マリオ・ベリー二氏の言葉を思い出しました。この言葉の響きが好きです。
最近のコメント