そうあって欲しい未来2010年01月13日 11:11

年頭に「そうあって欲しい未来を!」と意気込みましたので、早速カテゴリー「未来」を作りました。最初は以前にも書きました「芝生の路地」についてです。

冒頭から話が横路にそれますが、私は路地が好きです。旅先の見知らぬ路地に一歩入るだけで、その場所で生活する景色がぱっと広がり、私の想像の及ぶところと及ばないところの境界がはっきりと現れてきます。そしてその境界が寂寥感を生み、我が身を振り返らせ、「ああ、異国なんだ」と感じるのです。ずいぶんと回りくどい話ですが、連想は一瞬にして回路を巡っていくその瞬間こそが私の旅の実感であります。

さて、絵はがきのような美しい小道も、場末の猥雑な突当りも、時が止ったような軒並みも、旅がお好きな方ならそれぞれの魅力を見いだす事でしょう。私も皆様と同じように、それぞれの風景を味わうのですが、どうも地元の人々に愛されているかどうかがとても気になります。そして、私の希望的誤解があるとしましても、地元の方に愛されていると感じる場所が、やはり好きです。

地元の人に愛される場所。
故郷であれば当り前のようでもありますが、今現在のお住まいはいかがでしょうか?
玄関から3分以内が居心地よくなるには、やはりご近所さんとのおつき合いが一番大切なのですが、そのご近所さんと居心地良く過ごせる場所が家の目の前に欲しい、と思います。
その様な考えから出発して、町内会の皆様のお話しなどを伺って思い至ったのが「芝生の路地」です。子供が元気のあまり玄関から裸足で飛び出しても怪我しない(怒られるかもしれませんけれど)、お年寄りがご自分のペースで堂々と歩いていける、忙しい大人は走ってもいい、疲れた人は道ばたに座り込んでもいい、、そんなイメージを描いています。


ところで、読んだのは随分と前のことですが、司馬遼太郎著「草原の記」の中に、モンゴルの人々は草原を決して掘ったり剥がしたりしてはならないとの特別な思いを持っていた、、という著者の気づきが確信を持って語られています。それが故に大帝国でありながら遺跡を残さなかった、という説明になる程と思いました。またそれ以上に、私には「草原」の魅力が伝わって来る視点として心に残っています。


過去記事:新しい「道」芝生の路地
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