UIの未来 ― 2010年12月15日 20:20
タイトルが大げさですが、、今私たちを取り巻く機器たちは、確実に知的な方向へ進んでいます。
例えば、レコメンデーション、自動運転、予測変換といったものや、スマート○○といったインフラに関わるものも見聞されるようになりました。
果たして、私たちは道具が身体化するように、知的なシステムや機器を、自然なふるまいの延長として使えるようになるのでしょうか。それはいったいどんなUIなのでしょう。
また、使えるようになったとして、それはより豊かな経験となるのでしょうか。豊かな経験とするには、何に気をつけたら良いのでしょう。
その問いをずっと巡らせていたところ、一冊の本に出会いました。
D・A・ノーマン著「未来のモノのデザイン」
デザインをされる方ならご存知の事と思います。「誰のためのデザイン?」「エモーショナルデザイン」の著者です。
上の問いに答える内容に、思わず胸躍らせました。
第1章の終わりの「我々に必要なのは能力拡大であり、自動化ではない」は切実な響きを持って伝わって来ました。全ての回答がある訳ではありませんが、方向性は明快に示されています。
流石、とうなるとともに、同じ問題意識に立ちながらここまでの明快さを持ちえない自分はまだまだだと思ったり。。
もっと読み込んでから、もういちど書かせて頂く機会があればと思います。
まずはご紹介まで。
例えば、レコメンデーション、自動運転、予測変換といったものや、スマート○○といったインフラに関わるものも見聞されるようになりました。
果たして、私たちは道具が身体化するように、知的なシステムや機器を、自然なふるまいの延長として使えるようになるのでしょうか。それはいったいどんなUIなのでしょう。
また、使えるようになったとして、それはより豊かな経験となるのでしょうか。豊かな経験とするには、何に気をつけたら良いのでしょう。
その問いをずっと巡らせていたところ、一冊の本に出会いました。
D・A・ノーマン著「未来のモノのデザイン」
デザインをされる方ならご存知の事と思います。「誰のためのデザイン?」「エモーショナルデザイン」の著者です。
上の問いに答える内容に、思わず胸躍らせました。
第1章の終わりの「我々に必要なのは能力拡大であり、自動化ではない」は切実な響きを持って伝わって来ました。全ての回答がある訳ではありませんが、方向性は明快に示されています。
流石、とうなるとともに、同じ問題意識に立ちながらここまでの明快さを持ちえない自分はまだまだだと思ったり。。
もっと読み込んでから、もういちど書かせて頂く機会があればと思います。
まずはご紹介まで。
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