グラディエント2009年03月16日 10:45

グラディエント 夕やけ
先日の南雲先生の色のお話も、ここから展開されていらっしゃいましたが、「太陽が赤い」という感覚は日本的で、世界では少数派ですね。日本などの温帯では湿気を含む空気が作用して赤くなりやすいためです。
つい先日、多国展開する機器のUIの中で、太陽をモチーフとしたグラフィックを検討する際にも話題になりました。風土と感覚についてはいつも興味深いです。

写真は先月、横浜としては空気が澄んでいた日の夕景です。画面では何色に見えてらっしゃいますか?太陽は赤というよりも黄金色に見えていました。
青から黄金へグラディエント、何の不思議もないのですが緑も紫も入りません。青は拡散された光で、黄色は到達した光です。この「拡散」と「到達」の組合せ、配色のヒントかもしれません。

「失われた10世紀」2009年03月17日 23:22

今日、日本とインドを行き来するビジネスコンサルタントの方のお話しを伺う機会があり、そこで「失われた10世紀」という言葉を知りました。

日本では、90年代のバブル経済がはじけた後、政治経済が交錯してずるずると後退した期間を「失われた10年」と呼ぶことが多いですね。しかしインドでは、11世紀に始まる侵略の歴史から1947年の独立までの10世紀あまりの間、文明は搾取され続けていたことを引き合いに、10年単位の景気後退をあまり悲観すべきではないとの感覚があるそうです。これは内需型のインドの経済構造にとって、消費意欲が衰えないことを示唆するものでしょう。
「楽観の力」なるほどと思いました。

視覚の解像度2009年03月18日 18:36

少し専門的なお話ですが、画面上の描画にはこんな特性があります。

ー 解像度が低い描画は、リアルな表現の方が美しく感じ、ピクトグラムの様なシンプルなものは稚拙に見える ー

緻密な絵を描くにはドットが足りないようなものの方が、案外綺麗にみえるのですよね。通常の画面の70〜100dpi(ドットパーインチ)程度の密度で、アイコンなどの数十ドットのものの描画では特に顕著です。

このことは、インターフェイスデザインで日常的にアイコンなどのグラフィックを描画している私どもにとっては自然な現象です。

話は少しそれますが、OA機器が「ペーパーレス」を旗印に普及した頃、コピー機の技術資料に「200dpi以上あれば、人間の目には滑らかに見える」と書かれていたのを今でも覚えています。
しかし、この密度なら曲線のがたつきが見えますし、その一方で整然と並んだドットは滑らかなグレーに見えます。

「見えている」という事象はもっと有機的で、視覚上の「滑らかさ」を解像度という画一的な数字だけで追いかけることは、意味がないことなのでしょう。

比較的新しい視覚の考え方では、目はテクスチャー(肌理)を捉え、そのテクスチャー同志のレイアウトで形態を捉え、さらに時間を含めた空間、温度や肌触りなどの質感、さらには生理的な意味を、極めて短時間の間に同時に感じている、と捉えています。
この捉え方はとても実際的です。例えば長い髪を風になびかせながら走る人の絵を想像して見て下さい。髪を見るだけでも多くの情報や感覚が含まれていますよね。

より有機的で自然なインターフェイスをと考える際、「形態よりもテクスチャーを視覚は捉えている」という感覚は、大切なヒントといえるでしょう。

あいだの空2009年03月19日 12:18

ビルの間 木蓮
今週は暖かいですね。桜もあわてたようにあちこちで咲き始めました。横浜でもほころび始めました。

写真はビルの裏手の木蓮です。細く開いた空に向かって伸びやかに咲いていました。

愛せる欠点2009年03月23日 19:50

「らしさ」という言葉があります。
いつもは控えめなのにいざと言うときに力を発揮してみんなを助ける、、そんなヒーローのような人が、時々実際にいらっしゃいますよね。それぞれが思い浮かべるヒーロー像は色々とあると思いますが、そう思わせる「らしさ」をいくつか持っている方がいます。

行動、言葉、容姿など、その人の個性を感じられる経験が重なると、その人の「らしさ」として印象づけられていく。。
デザインにおいての「らしさ」も同様に、経験の積み重ねによって印象づけられ、認知されるようになるといわゆる「ブランドイメージ」となっていきます。

話は飛躍しますが、デザインの「らしさ」にとって最も重要なのは「愛せる欠点」です。欠点はただ欠点のままでは愛せません。機能が劣るとか、大きいとか、遅いとか。。
しかし、デザインによって欠点が美点となることがしばしばあるのですよね。低機能なら遊びが活かせるかも知れませんし、大きければ新しい使い方を提案できるかも知れませんし、遅ければ使うことが楽しくするのも面白いです。
この転換はもしかしたらデザインの最も素晴らしい能力かも知れません。

人が自分の欠点を個性として活かせるようになるのと似ていますね。

「デザインは生活のためにある」2009年03月24日 15:51

ジョルジオ・アルマーニ氏が、ニューヨークタイムズ紙のインタビューで「今の若手デザイナーに言いたいことは?」と問われて答えた言葉です。

「デザイナーの仕事はサービスを提供することであり、今まで誰もやっていないことをやって見せることじゃない。誰もやっていないとしたら、やる必要がなかったからだ。そんなものを作っても、デザイナーの自己顕示欲を満足させるだけで、役には立たない。
デザインは生活のためのものだ。この点だけは絶対に譲るつもりはない。」

まったくそのとおり、痛快です。

また氏は、日常の中の誰にでも買えるものを、デザインを意識して作ること勧めています。そして、日常生活の中にデザインが完全に溶け込んでいる例として東洋を挙げました。「美は東洋にあり」と。

生活のための当たり前のものを美しくしていこう、という氏の心にとても共感しています。

看板文字2009年03月25日 13:34

看板文字 川越
以前、「美しい田舎」について少し書かせて頂きました。(土地の色
今世紀に入ってからは、これまでは画一化してしまいがちだった地方都市が、地域の特性を活かして魅力的な街づくりに取組むようになってきているそうです。難しい課題、特に経済的な課題は多いのでしょうけれど、各地の豊かな文化がそれぞれの土地で花開くのはとても素晴らしいことだな、ととても期待しています。

川越は、いち早く地元の文化を再興させ地元の人が誇りを持ち沢山の観光客をよぶことに成功し、モデルケースとして頻繁に紹介されています。
写真はその川越にある老舗の看板です。創業1738年、とありますから260年あまりの歴史があるのですね。看板はその歴史からすれば十分に新しいものなのでしょうけれど、大正前後の雰囲気を漂わせて、粋で楽しげでちょっと可愛いらしい雰囲気がありますね。「具」の文字が独特なことも興味深いです。

話はそれますが、この「ちょっと可愛いらしい」というのは、長く愛されるためにはとても重要なことと考えています。「らしさ」を感じる「愛せる欠点」にも通じるのですが、なかなか狙って出来るものではないんですよね。。このお話はいつか機会を得て書きたいと思います。

川越は冬の平日にも関わらず海外の観光客も沢山集まってとても賑わっていました。

ディシジョンスペース2009年03月26日 11:34

螺旋階段 サグラダファミリア
重要な会議に臨む直前のエレベーターの中、頭の中でポイントを絞り決意を固める。
ときめきの中で冷静になりたくてトイレに中座して間を置く。
長い廊下を歩きながら、あるアイデアを実行すべきかどうか思案する。

いずれの状況も、その光景が浮かぶことと思います。いくつかは実際に経験された方もいらっしゃることでしょう。
廊下、エレベーター、トイレ等は、人が心の準備をしたり意思を固めたりするための大切な空間と考え「ディシジョンスペース」という言い方をするそうですね。最近の研究では、意思決定する際の環境が意思決定に大きく作用することが分ってきているそうです。

話はそれますが、UIにおいても「ディシジョンスペース」が当てはまる要素があります。それは使用者が実際に操作している環境と、もうひとつは概念上の操作空間です。どちらもデザインする際にはとても重要ですが、後者の方はこれまで言及するデザイナーはいらっしゃらないかもしれません。(これは宣伝ですが、弊社のデザイナーはこれをよく心得ていて心強いです。)

写真はサグラダ・ファミリアの鐘塔の螺旋階段です。狭くて急勾配の螺旋を何段も昇っている間に、自然と体は熱くなり心は静まっていきます。神に仕えるものが、その心を定める空間としても螺旋階段は意義深い物なのでしょう。

市庁舎2009年03月27日 12:38

ハノーファーの市庁舎
ドイツ、ハノーファーの市庁舎です。
1913年に完成、第二次大戦時の砲撃で崩れかけたものを復興し、そのまま市庁舎として活用しているそうです。20世紀初頭の建造物ですので、ヨーロッパでは新しい部類のものでしょう。

お城のような市庁舎がある都市がドイツには沢山あります。特にハンブルクのものは有名です。こちらも19世紀後半に建てられています。欧州の歴史にお詳しい方ならご存知のことと思いますが、中世以降大変栄えたハンザ同盟が終焉した後にあたります。詳しい経緯は分りませんが、新しい時代に向けて威風を放つものだったのかもしれません。

ハノーファーについては以前少し紹介させて頂きました。(螺旋
緑が豊かで伝統を大切にする地域性を感じて居心地のよい街でした。

鷺(さぎ)2009年03月30日 14:55

鷺(さぎ)
今朝、近くの公園に鷺がいました。
街中の小さな池で、バスが通ったり春休みの子供たちがおたまじゃくしを獲ったりする喚声が賑やかな中、片足立ちでじっと動かないままです。

伺えば「最近見かけるようになった」「アオサギではないか」とのことでした。最近は身近な野生動物についての様々な問題がありますので、無邪気に喜んでいいのか分りませんが、大きな鳥が身近に舞い降りてくるだけで景色になるものだなあ、としばらく眺めていました。
dmc.
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