日暮れの空 ― 2010年02月08日 23:34
2010スーパーマーケットトレードショー ― 2010年02月09日 23:35

有名食品メーカーから各地方の生産者の方々が所狭しと自慢の食材を競い合っています。もちろんどれも試食することができます。
ご招待いただいたのですが、自腹なら入場料は¥5,000-(!)します。それでも安いと思うくらいに美味しいものを沢山頂きました。本当におなか一杯でお昼を抜きましたです。ごちそうさまでした。
・ネットで各地の珍しいモノ美味しいモノが手に入る時代なので、わざわざそこに行く意味のあるものが集まっているとうれしい。究極の産直(そのスーパーで生産、収穫している)とか?
・燃料やガソリンを食べているような食材は要らないかも。風力やソーラーだけで運んだものとか?
・究極のコスト競争、商品は全部タダのスーパーとか?
(試食やサンプルだけのお店は既にあったかもしれませんね)
・・戯言はさておきまして、、
今回はじめて参加させて頂き、各地方の生産者の方々の熱心さと思いの深さ、情報量の多さに感銘しました。地方がその地の利で活力を発揮しているのをお見かけしますと、とても豊かな気持ちになります。画一的でつまらない田舎から、魅力ある故郷へ、、そんな思いが集まっていると感じました。
私たちはその活動にデザインで関われればと思っております。
三澤社長、今回はお招き下さってありがとうございました!
「体験的認知と内省的認知」 ― 2010年02月10日 23:59
今日はなんとも僥倖なことに、各方面のスペシャリストが弊社に集い、非常に刺激的なブレインストーミングを行いました。
テーマは、以前に紹介させて頂いた「フリー」についてです。この書で紹介されている事例を越え、実際に私たちが取組むビジネスの具体的なヒントについて、それぞれの方面からのお話を伺うことが出来、沢山の視座とヒントとアイデアを頂戴しました。
その中のひとつ、この会の発起人でもありますI氏よりご教示頂いた「体験的認知と内省的認知」のお話はインターフェイスデザインにおいても関わりの深いものでした。
現代の子供の多くは情報を体験的認知だけで判ったように思ってしまい、理解が深まりにくいとのこと。例えばゲームを子供に与えて、マニュアルを読む子と読まない子では、始めはマニュアルを読まないこの方がすぐにゲームに慣れて得点が高いそうです。しかし、1月あまりするとマニュアルを読む子の方が得点が高くなるのだとか。
ゲームの世界でも「努力をしたものが最後は勝つ」というのはちょっと溜飲がおりる話ですが、やはりそれは少数派のようです。
そこでデザインとして発想しますと、、
体験的認知 → 内省的認知
という道筋を描いてあげることですね。
それも、「→」の部分は主体的な活動として出来ればよりよいですね。
ゲームなら「宝箱を見つける」というイベントが実は理解を促すインフォメーションだった、というものでしょうか。
デザインの中では造形が行為を誘発する事を「アフォーダンス」と呼んでいますが、認知を引きだすアフォーダンスをUIデザインは取り込んで行かなければならないでしようね。
ブレストは二次会まで及び、最後まで知的な刺激を沢山頂きました。
みなさま、ありがとうございました!
「食育とコミュニティ」ミサリングファクトリー訪問 ― 2010年02月12日 16:38
昨日は横浜市企業経営支援財団(IDEC)ヨコハマ次世代経営塾の皆さまと、お菓子教室の「ミサリングファクトリー」を訪問しました。

手作りのお菓子も販売しています。これが美味しかった!

「お菓子づくりは科学実験みたい」とおっしゃる主催の松本美佐さん。

会話の端々からお菓子作りへの自信と子供を慈しむ心が感じられました。
「お菓子が作れる」という単独の価値ではなく、「お菓子作りを通して子供を育むこと」「クラスがお菓子作りを通したコミュニティとして魅力を持つこと」を価値として提供されています。何より素晴らしいのは、生徒さんたちの定着率が抜群なこと。
なるほど、お菓子が出来るだけならネットで充分と思ってしまう人も多い中、それを越える体験は他に替えがたい魅力となっているのでしょう。

綺麗に磨き上げられた厨房は生徒さん自身の手によるものです。その一点を拝見するだけで子供を預けたくなってきますね。

「人を育むこと」とビジネスの両面で沢山刺激を頂きました。
松本さん、みなさん、ありがとうございました!
「30年」 ― 2010年02月15日 14:11
東西を分離していた壁の跡です。
何かを感じるかと暫くじっとしていましたが、無知のせいでしょう、自分の内側から沸き立つものは驚くほど何もありませんでした。
今この写真を改めて見ますと、この壁のあった「30年」(正確には28年だそうです)という時間の重さを感じます。この日のベルリンの天気が重苦しかったので、その印象もあるのかもしれません。
「十年一昔」と言いますし、人もそれぞれの年代で価値観や行動規範が変って行きますから、30年は引き返せない距離を感じます。
とはいえ、人生全てを被うには短い訳ですから、、「30年しか持たなかった」という見方の方が適切なのかもしれません。
少し話が難しくなってしまいましたが、どんなことも30年かければ何かしらの形が出来る、という事を巡り巡って感じております。
何かを感じるかと暫くじっとしていましたが、無知のせいでしょう、自分の内側から沸き立つものは驚くほど何もありませんでした。
今この写真を改めて見ますと、この壁のあった「30年」(正確には28年だそうです)という時間の重さを感じます。この日のベルリンの天気が重苦しかったので、その印象もあるのかもしれません。
「十年一昔」と言いますし、人もそれぞれの年代で価値観や行動規範が変って行きますから、30年は引き返せない距離を感じます。
とはいえ、人生全てを被うには短い訳ですから、、「30年しか持たなかった」という見方の方が適切なのかもしれません。
少し話が難しくなってしまいましたが、どんなことも30年かければ何かしらの形が出来る、という事を巡り巡って感じております。
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